黄色の家庭科室
ああ、とこぼれた数度目のためいき。ちらりと横目で師を仰げども、数時間前までの微笑はそこにはあらず、疲れたような苦笑があっただけだった。その頬も、過ぎたときを思わせるように斜陽に照らされ、ほのかに赤い。
「・・・・ごめんなさい」
「いや、気にすることはない。人には得手不得手があるのだから」
さあもう一度と差し出された新しいボウル、卵。家庭科教諭とは思えぬ大きな掌だった。自分の小さなそれと見比べて、社会科教師は内心でまたため息をついた。(・・・・・・チョークを正確に投げるのは得意なのに、)
それに気がついた彼が、朗らかに笑う。
「だれでも最初からできる人はいないのだよ、リフィル」
「・・・でもリーガル、卵ひとつ割るのに3時間もかかる人がいて?」
困った表情で見上げるリフィルに、リーガルはきょろりと見回して声を潜める。
「ここだけの話だが、ブルーネルは1年の初めに泡だて器でキュウリを切ろうとしていたぞ」
「まあ!」
くすりとわらってそれからリフィルはボウルを受け取った。もはや馴染んだ重さだ、気負いもない。卵を右手に、一度深呼吸する。
「これでも一応、家庭科部の顧問ですもの。文化祭で生徒の足をひっぱるわけにはいかないわ」
「うむ、」
リーガルは微笑んで雑巾を手に取った。近くの黒板に無残に散った黄色を拭う。先ほどリフィルが手元を誤って投げつけてしまった残骸だった。
と、背後で短い悲鳴が聞こえた。反射的に振り向けば、視界がべっとりと覆われた。独特のぬめり、匂い。うすく膜の張られたような世界のむこうではリフィルが固まっていた。
全神経を総動員して顔の引き攣りを止めた自分はなかなかの紳士ではなかろうかとリーガルは思った。
レシピの習得にはまだまだ時間がかかりそうだ