停滞のアクリル
停滞前線かよ、
じゃまっけな髪をざっくり束ねながら、小さく舌打ちする。と、耳聡く聞いていたアーヴィングがふりかえった。
「舌打ちとかすんなよ、ワイルダーがやるとこわいじゃん」
「・・・いやいやそれ、本人目の前にしてゆうなよ」
「陰で言ったら悪口になるじゃんか」
「あーはいはいそうですか」
で?
片眉が上がる。疲れた表情に、あつくねえのと聞く。アーヴィングはYシャツをパタパタさせて扇いだ。
「まあ、暑いけどさ、今日中に仕上げないといけないし」
「そーだけどさァ、あちいんだもん、廊下。なんで教室じゃだめなわけ?あっちはクーラー効いてんじゃんか」
「教室は内装組が仕切ってんの。俺らは看板組だからしかたないだろ」
ほらさっさと手ェ動かせ、ロイド・スパルタ・アーヴィングは会話を追い払うように手をふった。そう言われたところで、そもそも文化祭に対してあまりやる気がないものだから、とうぜん熱意だとか気合だとかそういうものが湧いて出るわけがない。そにれ相まってこのうだるような残暑。・・・・・しょうじき、とけそう。(まじで9月末ですかこれ?あーもーちきゅーおんだんか、はんたい!)
唯一の救いは、何も仕事をしてなかった俺に突如委員が押し付けた看板作りを、アーヴィングがやたら真面目に手伝ってくれていることだ。なんでも、外装で人が余ったからこっちに回ってくれたらしい、御の字だ。
やる気ある若者ひとりの数時間のはたらきで、看板は半分ほどその全容を示さんとしていた。
白いティーカップを塗り終えて、ふうと額の汗をぬぐうのを、ほんとによくはたらくなあとおもいながら見つめる。視線に気づいたロイドににらまれた。(いやほら俺応援担当だからさ。いまも全力で応援してるし。・・・・心の中で)
気づけばこの数日ずっと、こいつのせいで文化祭の手伝いに借り出されている。
清く正しくはっちゃける青春文化祭なんて俺には無縁だとおもっていたのに、なんだか変な感じだ。そしてそれを大して嫌だとも思わない自分も奇妙だ。
昨日の授業中しばらく考えていて、ああたぶんそれはこの男のせいなのだとおもった。先週まで喋ったこともほとんどなかったのに、いつのまにかとなりにいるのが当たり前になっている。ヘンな男だ。
ぐるぐるぐる、そんなことを考えながらすみっこのグレーをちまちま塗っていると、不意に夕陽がスッと遮られた。通りすぎない人影に顔を上げると、二人の生徒。銀髪の金髪の童顔、身長から見るに、下級生だった。なんだと問うより先に、アーヴィングが声をかける。
「ジーニアス!まだ残ってたのか」
「うん、クラスの小物作りがなかなか終わらなくって」
「あ、えっと、なんだっけ、ジーニアスのクラス、」
「迷路だよ、時期も時期だから、ハロウィン調の」
よかったらロイドも来てよ、だなんて声をかける銀髪のガキおまえはいったい何者だ。(俺が"アーヴィング"と呼んでいるのを知っての狼藉か!)苛々と睨んでみると視線に気づいたガキは俺を冷たく一瞥し、それからアーヴィングに意味ありげにうなずいてみせる。(なんだなんなんだ二人の世界を形成するな)
しばらく世間話をしてガキは去った。残ったのはこころなし機嫌の良さそうなアーヴィング、なんとなし面白くない俺、そしてじっとり肌にのしかかるような暑さ。
自然、止まる手。さっきの後輩が気がかりでしょうがない。停滞する空気といっしょになって俺を押し潰そうとするかのように圧迫してくる。パレットの上、乱雑に混ざった白と赤のアクリルみたいにごちゃごちゃの頭。・・・・むかむかする。なんだかアーヴィングを取られたような気がしてむしょうに腹が立った。やっと出来た友達がいなくなるみたいで、嫌だった。(ああもう!さっきの銀髪をガキとバカにしたけれど、これじゃ俺のがよっぽどガキじゃないか、)
しばらくしてアーヴィングが、模造紙に茶色を落としながら不意に言った。
「さっきの、小学校からの幼馴染なんだ」
「・・・ふうん」
「俺が最近、ワイルダーの話ばっかりするからさ、おまえのこと、気に入らないみたいでさ」
「・・・・・え?」
ごめんな、普段はもうちょっと愛想のいいやつなんだけど、と、申し訳なさそうにアーヴィングは苦笑する。
不機嫌をまき散らして困らせてしまったのを、悪いと思いながらも胸は躍った。(だっていま、なんてゆった?―――俺の話、ばかりって!)
あんなに苛立っていたのが嘘のようだった、たった一言でこんなに気分が払拭されるだなんて!ああアクリルが乾いてしまう混ぜてしまおう、キレイなピンクができた、(俺の顔も同じ色なんて、そんな、ばかな!)
先ほどまで嫌気がするほどに停滞していた空気はどこかに去ってしまったかのように、開けっ放しの窓からは涼が吹いていた。いつのまにか空もすこし暗い。鉛のように重かった腕のずいぶん軽くなったような気がした。
いつまでもアーヴィング一人に任せているわけにもいかない、筆を取って淡いピンクをすくった。
腕まくりを直して垂れる髪を耳にかけて、さあと構える。
早く塗り終えて帰らなくてはと思うけれど、色付けする手はどうしても早くはならなかった。なぜだ。束の間考える。わかった。頬がにやけた。
(本当は、もうちょっとだけ、一緒にいたいんだ)
もうすこし、もうすこしだけ停滞しろ、素晴らしきこの時間!