渇望










ぽつり。


一滴落ちると後は堪えきれなくなったようにぽたぽたと。したたる雨粒が地表を侵食し、木々を揺らし、俺の髪を濡らす。


これはすぐには帰れそうにないと思って、近くの浅い洞窟に入った。熊か何かが越冬のために使ったのだろう、ひと一人が入るのがやっとの小さい洞窟は、隙間風がなくて入ると暖かかった。







しんと降り積もる雨はひどく憂鬱な気分になる。雨は嫌いだ。気に入らないと母親に初めて叩かれたときも、俺を育てた乳母が腰痛を理由に家を辞めた時も、妹が修道院に連れて行かれた日も、空は今と同じ色をしていた。


ぽつぽつと雫の落ちる音も、すうと冷える空気も、奪われる熱も、ぜんぶ、全部、嫌いだ。


くじ引きで食材をとって来る担当に当たってしまって、こんなに遠出するはめになったのも、きっと今日が雨のせいだ。加えて言うなら今現在帰れなくなっているのは確実に雨のせいだ。


冷たくなった両肩を抱いて、ふと、数時間前にこの肩に触れた手を思い出す。あったかい手。早く帰って来いよと俺の肩をたたいた、ハニーの。


(・・・・・・ロイド)


名前を紡ぐだけで、体温が1度上がるような気がする。(なんて素晴らしき保温効果。ほっかいろにも負けやしない)こんなことじゃ駄目だと自分に言い聞かせる。これ以上あいつに依存したら駄目になる。失ったときにつらくなる。


睨むけれど忌々しい雨は止まない。








昔からないものねだりはしない方だ。ふつうの両親とか、ふつうの妹とか、ふつうの生活とか、それが他人にとってどんなに簡単に手に入るものだろうと、俺の望んだものはいつだって手に入らないと知っているから。


いつからか、欲しがることすら忘れてしまった。そんな俺が、


「・・・・欲しくてたまんねえとか、まじ、ねえ・・」


吐き出した息は意図せずため息になった。出て行った二酸化炭素、入ってきた渇望。(今目の前に現れでもしたら頭から喰っちまいそうな気がするちくしょう)


抱いた肩に。まだ残る、手の感触。指の1本1本が触れた場所まで明確にわかるような気さえする。あのとき俺に触ったあの手を俺は嘘で塗り固めた笑顔で冗談めかして払い落とした。


今ならまだ、その手を払うことができる。ハニーと、その他大勢を呼ぶのと同じように呼んでいれば、抑えることができる。


でもあとすこし、ほんのすこしロイドが踏み出して一線を越えてしまったときは


理性も何もかも吹っ飛んで、俺はきっとその手を引っつかんでぎゅうぎゅうに抱き締めて二度と放せなくなってしまうのだろう。






ふと気がつくと、雨脚はだいぶ弱まっていた。ぱらぱらりと勢いのない雨粒。そろそろ帰れるかも、と、洞窟から這い出したとき、


「ゼロス!」


聞こえるはずのない声に身体がびくつく。きょろりと見回せば、濡れた木々の間を器用にかきわけて走ってくる少年。(・・・ちょ、ハニー、うそでしょ、)


すぐそばまでやって来て、雨避けに被ってきた薄手のマントをささっと脱いで、俺に差し出そうとして、あ、と声を上げる。ついと頭上を見上げて、それから気が抜けたようにハニーは笑う。もう止んじゃったな、と。


それでも俺の髪の濡れているのに気がついて、大丈夫かと俺を気遣う。俺は手で顔を覆った。




ああ、だから、そんなことしちゃ駄目なんだってば、ハニー、


これ以上欲しくなったら、力ずくで手に入れてしまうから。






(空のバカ野郎、降り止んでんじゃねえよ、人が泣いてんだから雨ぐらい降らせよ)












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