きみが生まれた奇蹟











困った。

すっかり迷ってしまった。こんなばかでかい屋敷を作った奴に恨み言の一つも言ってやりたくなる。(大工さんの苦労もすこしは考えてやれってんだ)

現当主のゼロス・ワイルダーとは(あまり大きい声で言える関係じゃないが、)個人的な付き合いがあるから、何度もこの屋敷に来たが、こんな書庫に入り込んでしまったのは初めてだ。広すぎて、出口すらわからない。

本たちの独特の香りと、それに積もった埃の匂い。窓から光が入ってくるも多少棚が多いせいで室内は薄暗かった。硬質な床を、ロイドはカツンカツンと音立てながら歩いてみるけれど、行けども行けども景色は変わらない。


ところが、しばらく歩くと、狭かった通路が急に開けた。

丸い、膝丈のテーブル、木製の、小さなイスと、やや大きなイスのセット、その下には埃まみれだけれど、美しい細工の施された丸い絨毯。おそらくここで、昔は幼子たちに読み聞かせでもしていたのだろう、テーブルの上には本が開かれたまま置いてあった。

歩くのにも飽きたところだったし、テーブルの上の本を手にとってみる。よほどねんきのはいったものらしく、持ち上げただけでも冊子が崩れそうになる。慎重に表面の埃を手で払って、パラパラと目を通す。劣化や虫食いがひどくてすべては読めなかったが、ところどころの文章で察しはついた。

それは日記だった、ある女の。

丁寧な字で綴られた日記を読んでいくうちに、ロイドの表情が変わる。

瞬きする間すら惜しんで、ページをめくる。



最後まで読み終えてロイドは、早くここを出なければと思った。一刻も早くゼロスに会わなければと思った。さっきまでゆっくり歩いていた通路を、本を抱えて疾走する。何冊か本が棚から落ちる音がしたけれど気にしない。

早く、早く、ゼロスに伝えなければ。



がむしゃらに走れば出口は見つかるもので、なんとか書庫を出たロイドは、廊下で運よくセバスチャンを見つけて、ゼロスの私室まで連れて行ってもらった。セバスチャンは執事であるから、決して廊下を走ったりしない男だったが、それすら急かして、ゼロスのもとに、走る。

ノックもせずにドアをバタンを開けると、机で何か書き物をしていたゼロスが顔を上げた。執事が後ろでロイドの無礼をとがめたけれど、二人にしてくださいといってドアを閉めた。

ゼロスが笑う。

「なァに?ハニーってばこんな真昼間からお誘い?」

ちがうバカと跳ね除けて、ずんずん大股で近づく。首を傾げるゼロスに、両手で抱いた本を見せた。

「お前これが何か知ってるか」

きょとんとしたゼロスの前に、それをそっと広げて置いてやる。

「なんだよ、このボロっちい本は」
「いいから読め」

ゼロスはめんどうくさそうに視線を落とした。

その日記は、女が子を生んだ日から始まっていた。






憎むべき男の、子を生んでしまった。小さな醜い、猿のような子ども。
生まれてしばらくしてようやく開いた目は、憎らしいほどあの人に似ていた。
お腹が痛い、切るくらいなら生みたくなかった。


今日、あの子が私の手を握った。
頭を撫でると嬉しそうにきゃっきゃと笑う。
私がこんなに憎んでいることを、あの子はまだ知らないんだろう。



執事たちに子どもを預けた。きっと、私じゃ育てられずにあの子を殺してしまう。
けれど、子どもはわたしの手を離れた途端に泣き出して止まなかった。
仕方なく私が育てることになった。あの人に似たこの子を。




初めて子どもが四足で歩いた。まだよろけている。
柱に頭をぶつけてしまったときは本当に心配になった。
憎んでいるはずの子どもなのに、なぜかしら。


あの子が口を利いた。最初に、マーマと、呼んだ。…私のことを。
舌ったらずにママ、ママと言うたび、あの子はうれしそうな顔をする。
そんな顔をしないで、お願いだから。


2本足で歩いて、私のところまで来た。
転ばないか心配でたまらない。
日に日に面影があの人に似てくる。




あの人と、あの子を連れて初めて出かけた。
ピクニックなんてうんざりだったのに、あの子がお弁当をおいしそうに食べるのが可愛くてつい笑ってしまった。
笑顔なんて初めて見たと、あの人に言われた。

あの子が私の絵を描いた。
下手っぴで、全然似ていないけれど、嬉しい。
最近では私の行くところにどこでもついてきてしまって困る。


あの人が今日は一緒に朝食を摂った。
普段は向こうの女のところに入り浸っているのに、今日はやけにかしこまって食堂に来た。
今さら父親を気取るつもりだろうか。



このところあの人の様子がおかしい。
やけに家にいることが増えて、子どもに会いに来るようになった。
この子に何かするつもりなのかしら。


あの人の行動の理由がわかった。
向こうにも子どもができたと言った。(この調子で何人可哀想な子どもを作る気なのかしら)
それであの女を避けていたのね。



子どもと出かけた。
あの子が興味を持ったから絵本を買ってあげると、読んで読んでと言ってきかない。
夜何度も読んでやらないと眠らなかった。



気が変になってしまいそう。
今さら、愛しているだなんて、歯の浮くような言葉をよくも言えたものね。
あの女から逃げたいから私にそんなことを言ったに決まっているわ。




最近ではもう簡単な会話もできるようになった。
あの子が喋るたび、心が温かくなる。
この家で、この子だけが愛おしい。



あの女が家に来た。
私はあの人を盗った覚えなどないのに。
あの様子じゃ何をするかわからない、あの子だけは守ってやらなくちゃ。



女ときっぱり手を切ると、あの人が言った。
あの人の言葉なんて信用できたものじゃないけれど、でも、もし本当にそうしたら、私はあの人を愛せるかもしれない。
今日外から帰ってきたら、あの人ときちんと話をしよう。
雪が降って、母さま母さまとうれしそうに呼んでいる。

ゼロス、可愛い私の子ども。






日記はそこで終わっていた。

読み終えたゼロスの、ページをめくる手が震えていた。

「・・・これ、どこで、」
「2階の書庫に、置いてあった」
「書庫・・・・・お袋が、俺に本を読んでくれた部屋だ。・・・・あれから一度も入ってなかった」

堪えるように天井を見上げたゼロスは、戸惑っているようだった。

「でも、そんなわけねえよ、だって、だってお袋は、」
「お前のこと、ちゃんと愛してたじゃないか、」
「けど最期に、生まなきゃよかったって、」
「それ、は・・・お前が大切すぎるから、そのせいで自分が死んじゃうくらいなら、生まなきゃよかったって、ことじゃ、ないのかな。と、俺は思う、けど」

ゼロスの顔が歪む。くしゃりと、泣きそうに。

「そんな、都合が良すぎる・・だろ、」
「だけどその日記を見てみろよ、お前のことばかり書いてるじゃないか」

言葉に詰まる。ゼロスはしばらく迷っていたようだけど、何か諦めたように首を振った。そうして縋るように俺の胸に顔を埋めた。

「・・・ゼロス?」
「ちょっとだけ、この、まま」

じんわりと、染みる感触があった。泣いているのだとわかったけど、俺はなにも言わなかった。伝わる体温はひどくあたたかかった。



しばらくして、こんなもん、見つけてくるなよなとゼロスは笑いながら言った。非難しているくせに、とてもうれしそうな、笑顔だった。

ゼロス、ゼロス、お前が愛されるために生まれてきた子どもでよかった





きみが生まれた奇蹟に両手いっぱいの感謝と祈りを









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ゼロスの母について書いたことは今までなかったのですが、それはこの話を書きたかったからです
本編ではああいう風に描かれているけど、私的にはこういう解釈をしました
だってあれじゃゼロスがかわいそすぎるもん・・・!(ゼロスを幸せにしてやりたい派なので