ノックの音に、エミルがドアを開けた。
むこうで話し声が聞こえる。俺は久しぶりにリフィル先生に出された宿題に没頭していたから、さして気にもしていなかった。
と、ふと肩に置かれた手に振り向く。立っていたのはゼロスだった。同室のエミルの姿はない。
「どうかしたのか?」
「部屋、代わらせたから」
「え?・・ゼロス?」
なんでと聞く前に、唇にひとさし指が触れる。困惑の視線を送っても返事はなかった。ゼロスは無言でソファに腰かけた。ふたり分の男の体重に、革はすこし痛そうな音を立てた。一人旅の長かったせいでこうしてふたりきりになるのは久しぶりで、俺はすこしだけ緊張した。ゼロスの視線が向けられる。
「・・・・今から俺さまが3コきく、当てはまる人は手を挙げること」
「へ?」
ひとつでも嘘ついたら俺さま1週間ロイドくんと口利いてやんないからねと前置きされる。(なんだその地味ないじめ・・!俺が耐えられるわけないってわかってるくせ、に・・・・!)
文句を言う前に潔くゼロスの唇が開く。
「いち、何ヶ月も仲間に黙って単独行動してたひと」
「う・・・・」
恐る恐る右手を挙げれば、ぐいと強くつかまれる。思わずつんのめって俺はびっくりしたのに、ゼロスが気にしたようすはなかった。質問はつづく。
「に、ほんとは黙ってるのが寂しくてつまんなくてつらかったひと」
「むー・・・!」
認めるのには多少プライドと折り合いをつける必要があったが、しばらくゼロスと話のできなかった俺には1週間無視の威力はなかなか絶大で、渋々、左手を挙げる。同じように左手も取られた。両手繋いで、ゼロスはまっすぐ俺をみた。思いのほか近い距離にすこし恥ずかしくなって、顔を伏せようとするとダメといわれた。(なんかおまえ今日俺に厳しいぞ・・・!も、もっとひとにやさしい人間になれ、特に俺にやさしい人間になれ、ばか・・!!)
睨んだけれど効果はなかった。ゼロスの最後の質問が言葉にされる。
「・・・さん、だーいすきな俺さまに会いたくて会いたくてしかたなかったひと」
「っ・・!そっ・・れ、ひきょう、だぞっ!」
「嘘ついたらほんとに無視するからね、答えなかったらこのままずっと離さないからね」
ぎゅ、と握られた両手に力が込められる。
部屋にいたから、宿題をしていたから、グローブは外していて、当然素手で、ゼロスも素手で、直に伝わる体温がなんだかやけにあたたかかった。長い指だとか堅い関節だとか握られた強さだとか、どれも、どれもこれも、ゼロスで、・・・・ずっと触れたかった、ゼロスで、気がついたときには俺は泣いていた。
ぽたり、腕に流れたそれは肌を這って手を伝ってゼロスの指に触れて流れて消えた。一滴落ちると止め処なく、ぽろり、ぽろりと、流れ出る、溢れ出す。ひとすじ、またひとすじ、濡れていくふたりの手。
「あ・・・!これ、じゃ・・手ェ、上げらんねえじゃん、か!・・ど、したら、いんだよ・・・!」
「そっかじゃあずっと答えられないね、ずっとこのままだね」
困ったねロイドくん、なんて、人事みたいにゼロスがしれっと言う。(おまえ、性格わるい、ぞ・・・!だれが困らせてるんだ、だれが!)むかついて足を蹴ったらよけいに手の拘束が厳しくなった。(おっ、ま、え!質問しといて答えさす気ないだろ!)
涙も止まんなくて手も挙げらんなくて、どうしようもない俺に、ようやくゼロスが動いた。身を屈めて俺の顔をのぞきこんで、そうして、
「かわりにロイドくんからちゅーしてくれたら、イエスってことにしといてあげる」
「っんだよ、それ・・!ばかやろ・・・!」
細められた目が静かに俺を待っている。俺はせめてもの復讐に、しばらく焦らしてやった。・・・でもそんなに長くは持たなくて、結局、首を持ち上げて、懐かしい唇に自分から重ねる。(正直、ゼロスに触れるのは久しぶりすぎて、これはもうゼロス不足による禁断症状としか言いようがないとおもう。あくまで感情でなく体質的な問題だからほんと、しかたないとおもう。・・・・断じて、したかったとかそうゆうわけではなく!)
離れるとゼロスは許さないというように身を乗り出して今度は自分からキスした。なんだよと言うと、全部あてはまったロイドくんにご褒美とゼロスは笑った。
「俺に、会いたくてしかたなかったんだ?」
「・・っ・・・そうだよ、わりぃかよ」
「ううん、俺もロイドくんに会いたかったよ、だっておまえなんにも言わずに行っちまうからさ、」
「・・・・・ごめん」
「もう怒ってねえよ、喋れなかった事情も聞いたから。ただ、たださ、―――おまえがだれよりも、きつかっただろ」
「っ!」
はっとした。穏やかな声音、労わるつらなり。一人で旅していた数ヶ月の間は、決して得られなかった温もり。ほんのすこし乾いていた瞳が潤む。(ちっくしょ、俺の涙腺、壊してんじゃねぇよ・・!)
ゼロスの手は変わらず俺の手と重なっていた。安心した。心の深く深く、根っこの部分からあっためて、ほっとさせてくれる体温。離れてはじめて、この温度の大切さがわかった。この安心の原因がわかった。ゼロスのやさしさが、わかった。
「・・・・ずっと、ずっと打明けたかった、おまえに」
「わかってる」
「一人旅なんて、したことなかったから、寂し、かったんだ、ぞ・・・!」
「・・・おつかれ、ロイド」
「も、俺、ぜったいひとりで行ったりしねぇ・・!絶対、おまえ、ついてこいよ、」
「言われなくても」
返される一語一語が待ち望んでいたそれで、ゼロスらしい答えに俺は笑う、涙は未だ枯れない。
手を濡らす水滴、やけにあたたかいのはなぜだ
(・・・・答えなんてとっくに知っているけど)
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