『昼いっしょに食うの』
授業中に回ってきた手紙に心臓が飛び出るかと思った。思わず顔を上げて斜め前のすこし離れた席を見やれば、手紙の主はこっちを薄い眼鏡越しにみていた。俺がぶんぶんとうなずくと、ちょっとだけ笑って、また前を向いてしまった。黒板の呪文みたいな数式に見入っているようだった。
ゼロスがこんな風にわざわざ手紙を送ってきたりするのは、初めてだった。(そもそもゼロスは不真面目で授業なんて好きな教科以外ほとんど出ないから、)授業中の密談なんて学生には当たり前のことだけれど、ゼロスがやるのはやたらに新鮮だった。性格に似合わず整った几帳面そうな字。十文字にも満たないその小さな紙切れを、何度も読み返してしまう。
昼休みまであと10分。時計の針の進むのが、やけに長く感じる。教師の声がスロー再生で流れているんじゃないかと俺は疑わずにいられなかった。鐘の鳴る5分前くらいからごそごそと教科書をたたんでいたら教師に怒られた。(だってしかたないじゃんゼロスが自分から誘ってきたんだから!)
シャーペンをひたすらくるくるして時間をつぶして、ようやく、待ちわびたチャイムが鳴る。お決まりの第一音が聞こえた瞬間に席を立つと、ガタガタとイスが倒れそうになった。教壇から視線を感じたけど気にせずに、机の横にひっかけてあった弁当をつかんで、1歩踏み出てその顔をのぞきこむ。ゼロスはちょっとおどろいて、それでもくしゃりと笑って、授業中だけかけてる眼鏡を外して、スッと席を立った。揺れる赤毛がふわりと匂い立った。高校生男子らしくない、まるで女の子みたいな、いい匂い。俺は剥き出しの心臓を撫でられたみたいにどきりとした。ゼロスがどうかしたかと聞く。なんでもないと俺は慌てた。
このところ、昼は裏庭の桃の木の下でゼロスと一緒に食べるのが習慣だった。といっても、先月ここでゼロスのいるのをみつけて俺が押しかけただけなんだけど。でも今日は初めてゼロスからゆってくれたし、俺的にはすげー大きな一歩前進。
日陰の大きな裏庭は夏でも風が通って涼しくて、ゼロスはよくサボり場所に使っているのだという。新緑の香りがして、俺もお気に入りの場所。ここで一緒にいるのを許されてるってことは、じつは、結構うれしいことだったりする。(最初の頃はわざわざ避けられてたことを考えればかなりの進歩。俺が毎日通いつめたら結局あきらめたのか一緒に食ってくれるようになった)
今では弁当の中身を交換するのが日課で、俺はわざわざそのためにゼロスの好きな料理を朝早く起きて作っている。毎日ちょっとずつ品を変えると、それぞれ感想をくれるのが最近の楽しみ。(そういうとこは意外と律儀で、ゼロスは一言でもちゃんとなにか言ってくれる。まあそういうところが好きで好きでしかたがないんだけど)
弁当箱をカパリと開ける。ゼロスがちらりとみて、いちご、とつぶやいた。指でひとつつまんでその口元に運ぶと、雛鳥みたいにゼロスは口を開けた。放り込むとちょっと嬉しそうな顔をして、でもすっぱさに眉をしかめたりする。飲み込んで、まだ俺の弁当を見ていたから、
「まだ欲しいのか?」
「んん・・アスパラのベーコン巻き、」
「はいはい」
食べさせるとゼロスは、んまいとつぶやいた。それからようやく自分の弁当箱を取り出す。中身はいつもと変わらず豪華な和食だった。昔から家に仕えている執事が、毎日作ってくれているのだという。鯖の煮物をもらった。いつもながらおいしかった。
食べ終えて木の根元に寝そべりながら、思い出して聞いた。
「そういえばさ、」
「ん」
「なんで今日はわざわざ、手紙なんか送ってきたりしたんだ?」
「あー、あれ」
地面から張り出した幹の上に座ってバナナオレを飲みながら、ゼロスはしらっと答える。
「担任に呼び出されてた」
「え?」
「ロイドが一緒に食うんだったら行かなくてもいっかって」
「で、すっぽかしたのか?」
「うん」
平然とうなずくから呆然とした。
「・・んと、それ、大丈夫、か?(そりゃ、俺を優先してくれたのは、うれしい、けど、)」
「え、だってロイドの方が大事だし」
「けど、なんか大切な用とかじゃ」
「どうせ進路のことでしょ」
「進路?」
「そう、第一大に行くって言ったら怒っちゃってさ」
「え!・・・それ、俺と同じとこじゃん」
ゼロスはちらりと俺を見て、あれ、言ってなかったっけと首をかしげた。飛び起きた俺はぶんぶんと首を横に振る。
「っていうか、なんで!ゼロスならもっと頭いいとこ行けんじゃん!」
「だって、おまえがいるから」
「・・え?」
「おまえと一緒んとこ行きたいから」
まっすぐ目をみつめて言われて、なんだか告白されてるみたいだとおもった。顔が火照る。(や、ばい・・・・すっ、げー・・・うれしい)どうかしたとのぞきこんでくるのをはらいのけた。
なんだよと面白くなさそうな顔をして、バナナオレがなくなったのか、容器を放ってゼロスはごろりと寝転んだ。
ねむたげに目を閉じた横顔。幹を挟んで、距離、20センチ。手の届くところにいてくれるのが、嬉しい。これからもとなりにいてくれるつもりなのが、たまらなく、嬉しい。(もちょっとわがままいうと・・・いつかゼロになれば、いいのに)
気づかれないように手を伸ばすと、目蓋を上げたゼロスがなに、と振り向いた。俺はただ微笑んだ。てのひらと瞳の間を、夏風がふわりと通り抜けた。
きみとの距離、現在20センチ