続・カスタマーアンドウォーカー
※現代パラレルです
ゴトリ、
耳慣れない音に足元をみれば、艶のあるブラック、ああ携帯を落としたのだと気がついた。慌てて拾ってあやまると、電波の向こうで苦笑が聞こえた。
実感の湧かないまま、ハイ、ハイ、と機械的にくり返して、おぼつかない指で電話を切る。途端、へたりこむ。右耳が熱い、いまだ残るやわらかい声が鼓膜を反芻する。
『カットモデル、やってくれませんか』
『ワイルダーさんがいいんです』
『・・・・だめですか?』
『―――ありがとうございます!来週の金曜とか、空いてます?』
『じゃあその日、七時にお待ちしてます。それじゃ、おやすみなさい』
ばくばくする心臓を押さえながら発熱する頬を押さえながら、なんとか言葉を咀嚼する。(カ ッ ト モ デ ル だ、と ・・・ !)
美容師と客、ただそれだけの関係なのに、あらぬ期待を抱いてしまうのをとめられない。だってなんとも思ってない客にわざわざモデルなんて頼むだろうかいや頼まないすなわち、(俺は、ちょっとは、親しく思ってもらえている、わけ、で・・・・!)
あふれる喜びに、よし!と思いきりガッツポーズ。ああまちがえてリダイヤルボタンを押してしまった!わたわたと両手でなんとか切って、ふうと息を吐く。すると、瞬時に携帯が振動した。びくりと肩を揺らせて携帯を恐る恐るのぞきこむと、新着Eメール、1件。淡い期待を抱いて受信ボックスを開けば迷惑メールだった。(どんまい俺!)
グレーのジャケット、黒のストール、プリントの気に入った白いシャツ、履きなれたジーンズ、アクセサリをてきとうにちりばめて、髪は顔の横でゆるく結った。鏡の前で何度も見直して、変じゃないよなと確認した。変に気合を入れていくのもなんだか不似合いだし、かといってラフすぎるのもあれだから間をとったのだ。
ナルシストよろしくいつまでも確認していると出かける時間を過ぎてしまっていたのに気づいて、急いで飛び出す。(ああせっかく頭もまとめたのに!風のばかやろう!)
走って走って慌てて飛び乗った電車で、どこの女子中学生だとちょっとあきれた。それでも線路を三十分、期待を乗せてゆくのは幸せだった。
「あ、ワイルダーさん」
美容室に着くと心なしうれしそうな顔に迎えられるのになんだかむずがゆくなる。アーヴィングさん、掠れる声で呼んで、ぎこちない笑顔を返すと上着おあずかりしますと手がさしのべられた。ストールとジャケットをわたすと彼はふらりと俺をみた。
「今日、スーツじゃないんですね」
「あ・・・仕事が五時終わりで、一度家に帰ってから来たんで、」
「え!すいません、・・急いだでしょ?」
「や、だいじょうぶです、はい」
申し訳なさげに視線を送ってから、彼は丁寧に上着をハンガーにかけてクロゼットにしまった。
壁際の奥の席に通されると、俺の好きな雑誌の置いてあるのに目が行った。(あ、最新号、まだチェックしてねえな)すると広い鏡に映るアーヴィングさんが瞳に笑いを忍ばせて、俺を座らせながら言う。
「このまえ一緒に食べに行ったとき、好きだって言ってたんで、買っちゃいました」
ないしょばなしをするみたいに、こっそりいうから、顔が勝手に火照るのをとめられなくなる。(俺が何気なく言ったの、なんで、覚えてるんです、か・・・!どこまで惚れさせたら、気が済むん、です、か・・!)アリガトウゴザイマス、片言の俺をアーヴィングさんはくすくす笑って、結わえていた髪をほどいた。長い指がするすると梳いてゆく。
「いつもおもいますけど、ほんと髪質いいですよね」
「(だってそりゃあアーヴィングさんのためにいつも気を遣ってます、から・・!)そうですか?」
うん、すごくさわり心地いい、と、ささやきながらアーヴィングさんが一束持ち上げる。ほんとうに幸せそうにいうから、俺は自分の髪にすら嫉妬した。(・・・・バカか、)
かるく洗って席にもどると、5センチくらい切るけどいいですかと聞かれた。アーヴィングさんに切ってもらえるのなら5センチでも10センチでも構わなかった、うなずいた。背後の美容師がはさみを持ち上げた。
ああ、と、うしろに聞こえないように感嘆のため息をはく。鏡越しの真剣な顔に、心を奪われる。雑談をしているときもご飯を食べているときも彼はかっこいいけれど、やはり、仕事をしているときの表情がいちばん、決まっているのだ。ここに来るたび、髪に触れられるたび、何度でも何度でも、恋焦がれる、際限なく、とめどなく。
ぼうっと見惚れていると、髪留めを外しながら彼が苦笑した。
「あんまり見られてると、照れるんですけど」
「っあ、す、すいませ・・・っ!」
反射的に赤くなるのを隠すようにうつむけば、顎をつかんで顔を上げさせられる。にっこりとアーヴィングさんはわらった。
「切りにくいんで、ちゃんと顔上げててくださいね」
・・・意地悪な顔までかっこいいだなんて、犯罪、だ!
切り終えてワックスで見た目をととのえると、アーヴィングさんはパシャパシャと数枚写真を撮った。
「宣伝用にいくつか使うかもしれないけど、いいですか?」
「あ、はい」
「ありがとうございます、今日は忙しくさせちゃってすいません」
「やっあの、ホントに、全然、気にしてないんで・・・!」
両手をぶんぶん振ると美容師はちいさくうなずいた。それからくしゃりと俺の頭を撫ぜて、耳元でこそりと告げた。
「ご飯食べに行きましょう、店の前でちょっと待っててください」
えいいんですかという言葉は楽しそうな笑顔に打ち消された。だまってうなずくしかなかった。
(え、おれ、こんな、しあわせで、いいの?)
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