あけましておめでとう、メールで言った。
三箇日過ぎたら会えるから、メールで言った。
ごめんやっぱり無理っぽい、メールで言った。


そしてその後一週間、連絡は取れていない。気遣いの恋人はよこすメールも電話も、ない。
最後に会ったのは昨年末で、半月しか経っていないのにずいぶんと前のことのように感じた。


元旦、三が日、成人式、新年の美容師のだれもが通る儀式をようやく過ぎて、最初の平日休みは結局一日中寝てしまった。真夜中起きた俺がまず思ったのは、ゼロスが足りないということだった。寝ぼけまなこで携帯を見ればちょうど恋人からメールがきている。


『今週の土曜日カットお願いできますか?』


即答。だって第三土曜日の俺は公私ともにゼロスのものだ。もちろんと返事して、久々の恋人にしばらくにやついて、寝た。






イチジク千秋の思いで三日待ち、ようやくその日は来た。


予約どおりの夕方、ゼロスは来店する。上品な黒い革のコートに長身を包んだ立ち姿はそれだけでさまになり、店内のスタイリングチェアに座る女性の、わざとらしくない視線を集めていた。これだから週末の夕方に来るのは控えてもらおうかとも思ったが、どうせちがう日に来たって俺はかわらず嫉妬するだろうから、言わなかった。


そんな俺の気持ちもつゆ知らず、ゼロスは店の奥にいた俺に向かってにこりと笑いかける。店内にはあからさまな黄色い声がさざめいた。笑い返す頬が引きつった。


カットは今日は前髪だけ、整えて、かるくトリートメントして首の横、短い黒の、リボンで結った。毛先だけくるりと纏めて散った毛を手で払う。ついでに耳を撫でてやった。日に焼けず白くやわらかい耳たぶには、クリスマスに贈った青い石が光っている。対照的に、ゼロスの頬は真っ赤に染まった。あれ、どうかしましたか、わざわざ聞いてやると、鏡越しの碧眼が朱を湛えながらきつくにらんだ。






店を出てから飲みに行く約束だった。ゼロスが行きたいと言った居酒屋は、俺の地元の駅、東口を出てすぐのガード下に今日もくたびれた看板を構えている。俺が前に連れて行ったのを気に入ったのだそうだ。


曇ったガラス扉を横に引いて黒いのれんをくぐれば、狭いカウンターに立つ親父が無愛想に片手を上げた。顔馴染みの先客にてきとうにあいさつしながら、連れに絡まれるのを避けて店の奥のテーブル席に陣取る。ほどなくして店の唯一の給仕、タバサが緑の長い髪を揺らしながらやってきた。温かいおしぼりを受け取りながらビールとつまみを頼むと、タバサは大人しくうなずいて戻って行った。物静かな親父と給仕、時折ガタンゴトンという電車の振動と集団の談笑がひびくばかりの店内は、落ちついた間接照明が木造の温かみを照らしている。ガサガサした街中なのに、しっとりと酒の飲める店なのだ。


無口な親父の、ご自慢の焼き魚をほぐしながら年明けの怒涛を話す。ゼロスは酒を呷りながら楽しそうに、ときに眉根にしわ寄せ俺にうなずきながら聞いていた。


そうしてしばらく話すと、だいぶ腹がふくれてきた。ほどよく酔いも回ってきて、そろそろ、と言おうとしたとき、シャツの胸ポケットにしまわれたゼロスの携帯が青く光る。長くつづく振動に、ゼロスは出るかどうか迷っているようだった。俺が気にしなくていいと手で示すとようやく、携帯に手をかける。口ぶりから、電話はどうやら会社の上司からのようだった。数分話して通話を切ったゼロスは申し訳なさそうに口を開いた。


「・・・あの、ごめん、急な仕事が入って、明日、朝から・・」


予想外で、さすがにへこんだけど仕事じゃしかたないし、困らせるのもわるかった。俺が物分かりよくうなずくと、ゼロスはうつむいてぺろりと酒を舐めた。腕時計はまだ二十二時、終電にはまだ時間がある。今日泊まれないのならもうすこし長居してもいいかと、俺は他愛ない話を切り出した。





異変に気づいたのは零時の近づいた頃だった。普段はすこし強めの酒をがっつり飲むゼロスが今日は、軽めのチューハイを延々と飲み続けているのだ。弱めとはいえさすがに飲みすぎじゃないかと声をかけてもとろんとした目で、まだ飲みますと、弱々しく駄々こねる。電車の時間があるからと言っても、首を横に振るだけだ。とうとうタバサも心配して、頼んでもいないのに黙って水を持ってきてくれた。


とうとう終電はなくなってしまった。とりあえずテーブルで会計を済ませ、机にうなだれる恋人の肩をつかんで起き上がらせた。大丈夫かと珍しく口を聞く親父にうなずいて、俺のマフラーもゼロスに巻いて、店を出る。ひっくと、たまにしゃくりあげる背をさすってやりながら駅前で、タクシーを拾おうとしたがゼロスは頑固に俺にしがみついて離れず、けっきょく、歩いて俺の家に連れ帰った。






ベッドに背から寝かせると、ゼロスはううんとうめいた。ベッドサイドのランプをゆるく点ければその顔をあたたかい光が照らす。薄暗がりでもわかるほどにその目元は赤く、頬も火照っていた。ハァ、と、かすかひらいた肉厚の唇から漏れる吐息にどきりとして、眩しそうにすこしだけ持ち上がった目蓋のあいだのぞく、潤んだ目に誘われて、ええいもう誘う方がわるいんだと馬乗りに、その首筋に噛み付いた。千切るような勢いでコートを剥ぎシャツのボタンを外していくと、ゼロスが身じろぎして首を振る。キスして押さえつけて、たっぷりと熱い舌を味わったあとに放してやると、ぷはあと水面にたどりついたときのようゼロスは大きく息をして、ぜえはあと荒く繰り返した。濡れた目の、その奥にふと光を見て俺は侵略の手を止める。じっとのぞきこんで、聞いた。


「・・・・ゼロス、本当は酔って、ない?」
「えっ! いっ、や、そ、そそそんなことっ、」
「嘘つけ、さっきまでそんなに呂律、回ってなかったぞ、」
「う、」


目に見えて狼狽した恋人は視線をそらそうとする。顎をつかんで許さなかった。碧眼は揺らめき、ゼロスはささやく声でそっと告げた。


「・・・・だって、俺が帰りたくないって言ったら、アーヴィングさん、困るだろ」


だから酔ったふりしてしがみついたんだ、ごめん、ゼロスは震える声であやまった。いつになく気弱な声音に背筋が、ぞくりとする。唇をきゅっと結んだ。組み敷いた肩はびくりとする。


「ごめんなさい、アーヴィングさん、怒った?」


下から、おずおずとゼロスは聞く。その顔に意地の悪い部分をそそられて、俺はこくりとうなずいた。


「・・・ああ、怒ってるぜ」
「っ!」


世界の終わりみたいな表情がゼロスの顔には浮かんだ。あーもー愛されてるなとひしひし感じて俺はつい笑ってしまった。舌に乗せる言葉はひどく軽い。


「名前で呼べって、いつも言ってるだろ」
「え、」


数度ぱちぱちとまばたきしてゼロスはようやく合点が行ったのか、あ! と自分の口を手で押さえるけれどもう遅い、その骨張った手首をつかんで手の甲に口付けてやった。


「だから俺は怒ってるんだ、今夜は、やっぱり帰るって言っても帰らせないからな」
「っロイド、くん」


なにか言おうとする唇に噛み付いてランプを、消した。