四桁の引き算












「ロイド、ちょっと買い物を頼まれてくれない?」


不穏を察知して即座に振り返れば、ロイドが素直にリフィルから買い物リストを受け取っているところだった。反射的に剣を持って立ち上がった。


「・・・買い物なら、私も付き合おう」


そう言ってロイドを見据えたが、ロイドは不満げに唇を結んだ。


「子ども扱いするなよ、俺だって1人で買い物くらいできるんだからな」


クラトスを睨みつけてぴしゃりとドアを閉め、ロイドは部屋を出て行った。一瞬、怒った顔のロイドに見惚れ、これが反抗期というものかと感動に打ち震えたが、今はそんなことをしている場合ではない。


緩む頬を押さえつけ、元凶のリフィルにつかみかかる。作りの複雑な服をギチとつかんで問い詰める。


「リストに何を書いた」
「え・・?消耗品をいくつか頼んだだけだけれど、」
「具体的に何を頼んだと聞いているのだ」









リフィルが指折り数えながら思い出した買い物の内容を頭に刷り込んで部屋を飛び出す。大股で宿を出ると、トリエットの砂埃が目に染みた。


(ただでさえレネゲードの基地が近いというのにあの子は・・!大体こんな砂漠で露出度の高い街を1人でうろつくなど何を考えているのだ、変な輩に襲われでもしたらどうしてくれよう)


乾いた熱風をかき分けてクラトスは走った。剣の柄をぎゅっと握り締めて一直線に雑貨屋を目指せば、見慣れた赤い服はすぐに目に入った。そうしてロイドにばれないように、近くの店の店番を脅して無理矢理に身を隠した。食材屋のワゴンに隠れ潜んだため、じわじわと匂ってくるトマトの匂いに顔が引き攣る。ロイドから視線を離さずに、こんな場所に潜伏しないといけない自分の身の上を嘆く。


しかしロイドにああ言われた以上、今出て行っては拗ねられてしまうに決まっている。ぶすっとした顔ももちろん好きなのだが、父と子、初めての買い物は楽しく出かけるのがクラトスの密やかな夢だったので、彼は陰からそっと息子の買い物を見守る道を選んだ。これは全て父親としての愛情とほんの少しの私欲による行為であったため、彼は一般的にその行為がストーキングと呼ばれるということに気がつかなかった。また、自分がぽたりぽたりと鼻血をたらし、店員が石像のごとく凍りついていることにも気がつかなかった。


クラトスは耳を澄ませ、雑貨屋の店員とロイドの会話を盗み聞く。ロイドはリストを確認しながら、アップルグミを買っているところだった。


「え、っと・・アップルグミを3個くれ」
「300ガルドになります」


ロイドは小脇に抱えた小銭入れをいそいそと開けた。ところが、なにやら悩んでいる様子にクラトスは首を傾げた。しばらくしてロイドは小銭入れから1000ガルド紙幣を店員に渡した。品物を受け取って、それから、


「300ガルドで、1000ガルド渡したから、えーっと、おつりは200ガルドだよな」
「・・は?」
「200ガルドください」


笑顔で店員に告げるロイドを見てクラトスは気づいた。さっきの沈黙は、どうやら引き算にかかった時間らしい。答えは素晴らしく間違っているのだが、クラトスはそれ以前に自分の息子が引き算に果敢に挑戦したという事実に涙していた。


雑貨屋を後にしたロイドを目で捉えつつ、雑貨屋の店員から残りのおつりを奪い取って急ぎ足でロイドを追った。









ロイドは広場を通りオアシスを抜け、街外れのテントに向かった。人に隠れ木に隠れ、クラトスはそっとその後をつける。砂の混じる風に薄汚れたテントの中に入るのを確認して、薄布越しに聞き耳を立てた。


ぼそぼそと話し声が耳に入り、声音で相手は女性だと気がつきクラトスは安堵した。


(・・・それにしてもこの狭いテントに2人きりなどと、なんと不埒な・・!無防備にも程があるぞロイド・・・!女だからといって油断はできん。ロイドにもしものことがあれば、テントごと破壊してくれよう)


「うんと、ここで占いやってるって聞いたんだけど」
「ええ、そうですね、今日は気分がいいので無料で引き受けましょう。今あなたが気になっている相手を思い浮かべてください」
「気になってる相手?えっと・・・・」


テントの横にへばりついたクラトスは、もちろん自分の名前が呼ばれることを信じて疑わなかった。彼は盲目的にロイドを愛していたので、ロイドが自分と同じ気持ちでいると勝手に確信していたのだ。


けれども次の瞬間、その期待は無残に打ち砕かれた。


「うんと、コレットかな・・」


照れと断定を含んだ一言は電流のようにクラトスの四肢を伝わり脳を破壊し呼吸を困難にさせた。占いの結果などもはや耳には入らず、頭では旅の間料理に混ぜるための毒薬を吟味し始めている。


クラトスがぶつぶつとつぶやきながら世の無常を儚んでいたその時、不意にテントが開けられ、クラトスはなけなしの反射神経で近くの茂みに隠れた。ロイドは少々怪訝な顔をしたが、すぐに行ってしまった。あの方角なら宿に帰るつもりなのだろうと思い、クラトスはショックに霞む視界を必死に歩いた。








宿に帰れば、コレットと目が合った。視線で殺意を送ってクラトスはふらふらになりながら部屋のドアを開けた。軋む木製のドアの向こうには、無邪気な笑顔を浮かべたロイドがベッドに横たわっていた。


「クラトスおかえり、どこ行ってたんだよ?」
「・・・・少し、散歩にな」
「えー・・ちょっと待っててくれれば俺も行ったのに」


やけに機嫌がいいのは神子と相性がいいとでも言われたからなのだろうかと思い、クラトスはますます打ちひしがれて、窓際のベッドにドサリと沈み込む。それを見たロイドはひょいとベッドを降りて、クラトスのベッドの縁に浅く腰掛けた。


「元気ないな、どうかしたのか」


(・・・お前のせいだときっぱり言えたならどんなに楽だろうか)
それでもロイドを無視するのは忍びないので、落ち込んでいて動かしたくない口を開いて、歳だからなと軽口を叩く。4028歳なら嘘はついていまい。


ロイドはうつぶせの顔を心配そうにのぞきこんで言った。


「何があったか知らないけど、元気出せよ。俺でよかったら相談に乗るしさ。あ、俺とクラトスって、すげー相性いいんだって!今日占い師に見てもらったんだ」


ぴくり。クラトスの耳がロイドの声を聞き逃すはずもなく、可愛らしい息子の声は数秒かかって脳に届いて、彼の顔を上げさせた。


「占い師、だと?」
「うん、街外れでやってるって宿の人に聞いたからさ、面白そうだなと思って」
「(しかしロイドは神子とのことを聞いたはずでは・・?)私とお前は、相性が良いのか?」
「親子みたいに仲よくなれるんだって」


思わず噴出しそうになったのをぎりぎりの理性でこらえて、ロイドに疑問をぶつけてみる。


「お前は、その、神子のことが気になったりはしないのか」


きょとんとした大きな目。ロイドは首を傾げて、


「コレット?・・・あ、あの羽根が気になるんだよな。ちょっと触ってみたくて」
「・・・・ほう」


やっと合点が行った。ロイドの「気になる」というのは、犬や猫への興味と同等なのだ。


ロイドの一言で地中深くまで沈んでいたのが、ロイドの一言で空まで舞い上がる。その上ロイドは神子との相性でなく自分との相性を気にしたのだと思い、やはり実父と知らずとも父の愛は伝わっているのだなぁとクラトスは感慨に耽った。


にやける頬をロイドに見られたくないという気持ちで必死に押さえつけ、それでも笑顔でクラトスは言った。


「ロイド、今日は私が算数を教えてやろう」
「は?」


今日は四桁の引き算の練習だと告げて、不満げな頬を撫でる。


砂漠の日差しに少々日焼けしたやわらかい肌が無性に愛おしかった。









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