メモと紙切れとパン










力の限り頬をつねった、痛かった。視線で舐めつくす勢いで凝視した、消えなかった。ああ、現実だった!


妄想と実際の境界線をようく確認すれば、心臓は早鐘のように鳴った。


(ああ、まさか、とうになくした息子とふたりきり、買い物、だと…!)


夢にも見なかったほどの行幸に胸が詰まりそうになる。(当番制のなんと素晴らしいことか!)立ち止まり噛み締めていれば数歩先にいたロイドが置いて行くぞと振り返る。人の流れを分けて慌ててあとを追った。


「んーと、まず、は・・・・食材を、ちょっとずつ買わなきゃな」
「ああそれなら確か、あの階段の上だったな」
「うん!・・・あ、」


往来、急に足を止めたロイドを見れば、少年はむむむと難しい顔をしていた。(・・っ!ロイドが、あの馬鹿で無鉄砲で愛らしいロイドが、"考える"という行動をしている・・・!なんという成長だろう、ああ、父さんは、父さんは嬉しいぞロイド・・・・!)湧き起こる感動に目元を押さえながら、クラトスはのぞきこんだ。


「・・・どうかしたのか?」
「ぅ、ん、っと・・・・・・あ、あの、あのな?クラトス、あのな?」
「(あああそんな顔で私を見上げるな父さんは鼻血が出そうです・・・・!)な、なな、なんだ?」


すこし迷ったような素振りでロイドは言いかねていたけれど、やがて意を決したように口をひらく。


「・・・・トマトは、みなかったことにしても、いいかな?」


想像していなかった問いにしばしクラトスは固まった。そして首を傾げる我が子の視線にようやく思考がめぐりだす。汗が、つうと伝った。クラトスは悩んでいた。


(やはり、ここは父親として厳しく諌めるべきか、いやしかしそれで嫌そうな顔を見るのもなかなかつらいものが、だが甘やかしすぎるのはよくないとアンナがよく言っていたな・・・・・どうしたものか・・)


「クラトス?」


決断は悩ましかったけれど十数年ぶりの愛息子のおねだりの前に迷いはあっさりと断ち切られた。すいと手を伸ばしロイドの持っていたメモ書きを奪い取る。そうしてなにをと焦るロイドの前でびりりと破った。


「あっ、ちょ、なにすんだよ!クラト、」
「・・・犬がな、」
「え?」
「躾のわるい犬が、噛んでしまったのだと、そういうことにしておこう」


そして平然を塗装した顔でクラトスは紙切れをロイドにわたした。見直したそれは上半分が無残に引き裂かれ、そこに件の野菜の名前はなかった。数度、目の前の男と手の中の紙切れと、視線を行ったり来たりさせてようやくおどろきの冷めたロイドの口元がほころぶ。


「アンタ、もっと融通利かない人だとおもってた。・・・けど、その、なんだ、・・・・たまに、たまーに、やさしかったり、・・そーゆーの、びっくりするっていうか、なんか意外っつーか、うれしい、っつうか・・・・」


話している途中で恥ずかしくなってしまったらしく、最後はそっぽを向いてのことばだったけれどたいそうな衝撃で、クラトスは必死で自分の両手を、身体のうしろで組んだ。(あ、あああ、撫で、たい、う、うう、撫でたい・・・!しかしだめだ耐えるのだこの子は子ども扱いされることを嫌がるのだから、ああ、動くなと言っているだろう私の右手め・・・!)


けれどその葛藤を、軽々と子どもは打ち破る。照れくさかったのかすこし先を行ったロイドは、止まったままのクラトスをふりむいた。それから、すこしはにかんで、わらう。


「・・・・ありがと、な」


もはや葛藤だとかそういうものでなかった。踏み出した一歩、伸ばした両手、引き寄せた身体はふたまわりほど小さかった。(・・・・だが、ずいぶんと大きくなったものだ)


無心、しばらくそのままでいれば、腕の中の身体がふと動いて、あ、と思ったときには腹に一発喰らっていた。崩れ落ちて胃をおさえながら顔を上げればキッとにらみつけるロイドがいた。


「っきゅう、に、なにすんだよっ!このバカ!へんたい!」


ずんずん、大股でロイドはあるいていく。クラトスは痛みをこらえて慌てて追いかけた。周りの視線がいささか気まずかった。


「ろっ、ロイド!ロイドすまない、さっきのはその、つい、だな・・・!す、すまない・・・」


ロイドはもう振り返らない。怒りと焦りの追いかけっこはしばらくつづいて、ふたりは階段を登りきっていた。すまぬすまぬと連呼するクラトスにため息をついてロイドは店のドアを開けた。


「・・・荷物、ぜんぶ、クラトスが持てよ」
「っああ、」
「・・・・それで、おあいこだからな」
「!・・・ああ!」


開けたドアの向こうからは焼きたてのパンのいい匂いがする。クラトスは気づかなかったけれど前をあるく少年の顔は窯から出てきたばかりのように、あかく火照っていた。








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あ、特に書いてなかったけどアスカードのつもり、でした


しかしまさかこのシリーズのつづきを予期したエスパーな方はいるまい、と思いながら書きました
最初に書いたシンフォなのでいろいろ、思い入れのある話です
一話はそれこそ一年以上前のものなので、いまとだいぶ文体がちがう、かと
このシリーズは、気が向いたときにふっと書きたくなります。ああ、原点回帰