ultimo ingiunzione
机の、一番下の引き出しには、俺の宝物が詰まってるから、こっそり、処分してください。
脈絡もなく、とうとつに、その手紙ははじまっていた。古い荷物に埋もれていた、よろよろと曲がった羊皮紙。そういえばこんなものの書き方なんて教えたことがなかった、きっと何枚も書き損じたにちがいない。紙の山に埋もれる姿を想像すると、ちょっとおかしかった。
言われるままに仕事の合間を縫って、懐かしいバチカルの屋敷へ。出迎えてくれたペールに挨拶すれば、あの部屋はそのままにしてあると教えてもらった。礼を言って中庭を通って、久しぶりの主人の部屋。仕事の忙しさのせいにして、長らく訪れていなかった。来るのには、すこしばかり勇気が要った。扉を前にすれば、嫌でも期待してしまう自分がいる。(ああ、まったく馬鹿馬鹿しい)
震える指でドアを開けた。そこに彼はいなかった。愚かしい落胆を覚えながら見回せば、本当に部屋は寸分も変わっていなかった。さすがにすこしは疲れているかと思ったのに、埃ひとつ、塵ひとつないように整えられた室内からは公爵夫妻の愛情が窺えた。すこしでも改変するのは惜しまれて、整然の秩序を崩さないようにそっと、絨毯をゆく。
立派な樫の机、跪いて、宝箱だという引き出しを開けてみる。
「・・・・・え、」
宝物だというから、どんな大層なものかとおもっていた。出てきたのはささいな、ありふれた、雑貨の山。そのうちのひとつ、手にとってみれば、見覚えのあるのに気がついた。十数枚のカードの束、折ればすぐ崩れてしまいそうな。いつだったか城下で流行ったのを俺が買って来てやったものだった。お坊ちゃんは俺に勝てなくてすぐに飽きて見なくなったけれどこんなところにあったとは。
まさかと思って、がさごそと漁ってみる。カード、指人形、落書き、巾着、うっすらと古びたその宝物は、俺があいつにやったものの山だった。衝撃にしばし、手が止まる。(おまえ、それは、ひきょうだぞ、)
それでもきゅっと唇を噛み締めて俺は、『宝物』をそっと取り出した。
『こっそり』という言葉にしたがって、それは俺の屋敷の暖炉で静かに燃やした。火花をきらめかせながら揺らめく炎はどこか主人の面影にみえて、俺は揺り篭椅子にもたれながらほんのすこし目を瞑った。脳裏に浮かぶは懐かしい顔。留守の間まで、なんて使用人づかいの荒い主人なのだろう、こんなに残酷な仕事を与えたりして。
そういえばあとの命令はなんだと、ポケットから羊皮紙を取り出す。世話になった人に挨拶をたのむだとか、他愛のないことがつらつらと書かれていた。と、貼り付いていてわからなかったけれど、二枚目のあるのに気がついた。破かないように引き剥がすと、ズラズラ字の並んでいた一枚目とはちがい、二枚目に書かれていたのはたったのひとことだった。
ちょっとずつでいいから、おれを、わすれてください
破けてしまうかと、おもった。それほどに思わず握り締めた力は強くて、やわらかい紙がみしりと音を立てたのがやけに響く。
じっとみつめていると、俺の読み間違いではないかという気がしてくる。妙に字が歪んでいるのだ。なぜだろう。
しばらくして理由はわかった。いつのまにか出来ていた、幾つかの染み。字が曲がっているわけではなかった、俺が泣いていたのだった。そうして何度読み返してもその手紙の変わることはないのだった。
使用人というのは、主人の命に従うからこそ使用人だった。命令に逆らえば、代わりはいくらでもいる、切り捨てられる、そういう運命だ。
だとすれば解雇を宣告するのは主人でなくてはならなかった。他の人間ではいけなかった。
(・・・・こんな命令に俺はしたがえないんだから、だから、はやくもどってこいよ、おまえなんかクビだってにらみつけてみせろよ、――――おれの、馬鹿で卑屈で、救いようもないくらい愛おしい、ご主人さま)
もどる