ひりり、
冷たい指、伸ばしてほっぺたを幾度か撫でると焼け付くような痛みは、ほんのすこし和らいだような気がした。
殴られるのは慣れていた。絡まれて、蹴られるのも、踏まれるのもいつものことだった。僕はどうしようもないネガティブでへたれで貧弱だから、しようがないとあきらめていた。
だけど今日のはさすがに相手がわるかった。街でいちばんガラの悪いグループに睨まれてしまって、袋にされた。ぼこぼこ、なんて表現じゃ足りない。ぼこぼこの、ぼっこぼこだ。あるくたび軋む脚を引きずって、薄汚れた煉瓦に手をつきながらのろのろと行った。
すこしは剣の腕の立つようになった僕だけど、やっぱりかんたんに人を殴ったり、ましてや斬ったりする勇気なんてもっていないから、今日みたいなときはあいかわらず、黙ってサンドバックにされている。無抵抗でしずかにしていれば、比較的はやく解放してくれる。僕が長年の経験で体得した知恵である。
(・・・宿にもどるまえに、見た目をなんとかしなくちゃ、)
面倒なことに、こんなことが知れたら仕返しに行くと言って聞かなさそうな人間が、いまは、若干名いる。僕がこんな姿でもどったならきっと、両手に剣を、銃をかまえ、血気盛んに飛び出していくだろう。そしてそれを止めるとかなんとか言ってなぜかライフルや小刀片手に出て行く姿も、物見にわくわく出て行く姿も、容易に想像できた。だから手間だが、目に付くところだけでもごまかさないけない。(・・・・だるいなあ)
でも、
「こんな僕を、心配してくれるんだから、ありがたいことなんだよね・・・」
臆病でいつもおどおどしていて自分の意見もろくに言えない、矮小な僕。いまだって、数少ない友人(と呼んでいいのか、いまでもためらう)に迷惑をかけていないか心配で、嫌われないか気にしてばかりいる。(だってずっとずうっと考えたのに、なぜ自分のまわりにひとがいるのかわからないんだ、)そんな僕に付き合ってくれる人に心配をかけないためなら、顔を冷やしたり服を洗ったりする程度の面倒は大したことではなかった。
とはいえ、殴られれば痛いし蹴られればつらい。ぼこぼこにされた状態で歩いたり後処理をしたりするのはけっこうたいへんなのだ。
薄暗い路地、温度のない壁を伝ってよろめきながらあるく。差し込む光はまだ遠い。(こんな、細い、袋小路まで、つれてこなくたって、いいじゃないか・・・)感覚のない左脚はただただ重いだけだった。
それでもなんとか呼吸をつないで、身体を支えて、一歩一歩、出口に向かってひたあるく。
ようやっと、明るい道まで出た。けれど僕は本当に運がなかった。立っていたのは数人の少年、屈強なのが四人、僕と似た様相、眼鏡の少年が一人。ああきっとこれはさっきの僕なのだ、どこかぼやける思考で見覚えもないデジャヴを嗤う。
そしてきっと彼らは僕を邪魔だと道の端に追いやるのだろう、たたきつけるように、踏みにじるように。(もうこれ以上、痛いのはいやだなぁ)
とりあえず目を殴られたりしたら痛むから、きゅっと瞑って身構える。すぐに、ドッ、とにぶい音がした。数発、耳に重い響き。・・・衝撃はない。おどろいておそるおそる目蓋を持ち上げるとそこに立っていたのは、息を切らし目を光らせたみどりの少年だった。足元には倒れた四人、へたりこんだひとり。
「・・スパー、ダ」
呼ぶ声はおぼつかなかった。喉をやられたのか、掠れた音の連なりのようだった。オリーブグレイの瞳がうっすらと細められ、僕を睨む。へたりこんでいた少年はヒッと短い悲鳴を上げ、よろよろと光の向こうへ逃げていった。
膝が抜けた。かしぐ身体、地面にたたきつけられる前にふわりと抱き止められた。視界の端、はためくみどりいろ。(ああ、姿を見ただけで安心しちゃう、なんて、)
抱き締める腕は堅かったけれどあたたかかった。さんざ殴られた目がじんとしみた。(へんなの、殴られてるときは痛くても、涙なんて、出ないのに)胸に顔をうずめると肺いっぱい満たされる彼の匂いにほっとする。
「・・・・・ルカ、」
「う、ん・・」
「なんですぐ呼ばなかった、俺を」
「・・・よぶ、ひま、なかったから、だから、」
「嘘つくな」
ぐいと、片手であごを持ち上げられる。至近距離、冷たく見下ろす双眸、見たこともないほどの。背筋がふるえた。
・・・ああ、きらわれちゃったのかもしれない。
自嘲めいた笑みが浮かぶ、いつかそうなる予感はしていた、今日がその日だったのか、そうか。(あんがい、はやかった)
「ごめん、ごめんね。・・も、いいよ、さき、宿、帰ってて」
「はァ? おい待てよ、なんでそうなるんだよ、」
「僕に呆れたんだろう?・・・・・きらいに、なったでしょう?」
ゆっくり、見上げると一瞬の沈黙、ぽかんとした表情のあと、その目がキッとつりあがる。
「っばか! なんでおまえはそうゆうことすぐかんがえんだよあーもーばか! このばか! 友だちだから街中捜し回ったんだよ! 大切だからむかえにきてんだよ! おまえ俺よりはちょっとはお利口さんなんだろ、だったらもちょっと考えろよ!」
「・・・だって、スパーダ、怒って、」
「おまえがすぐわかるような嘘つくから怒ってんだ! どうせまた、俺に迷惑かけるとか疎まれるとか気にして呼ばなかったんだろ、このばかルカ」
「(ああ全部そのとおりだよ僕は嘘を吐くのまで下手なのかなんてどうしようもないのだろう)ごめ、ん、ね」
苛々したため息がすぐそばで聞こえる。抱き締める腕は憤りを示すようにますます強固になった。(どうしてこのひとは、僕のために怒るのだろう、わからない)
耳元で縋るように少年はなにか言っていた。ちくしょうとか、好きだとかいう声が耳に触れたがまどろむ思考には響かなかった。僕はただ、僕が知っている唯一のことばを、かえした。
「ごめん、ね」
20090606:加筆修正
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