じわり、浮かんだ涙を必死で止める。目の筋肉ってなんて言うんだろう、名前もしらないけれどああお願いだから、頑張ってくれ、耐えてくれ、必死に祈りながら眼は鏡を見つめていた。
よく磨かれた鏡、映るのは何食わぬ店内と行き交う美容師、そして対極線上の、黒髪の女。艶やかな直線の髪は笑い声の上がるたびサラサラと揺れている。そうして笑い合っているのが俺の、恋人なのだからもう嫌になる。
(・・・ロイド、くん)
ようやく苗字でなく名前を呼び慣れてきて、雪の溶けるのとおなじくして、すこしずつ、恋人と呼べるような、そんな風になってきた春先である。見知らぬ女と楽しげに喋っているのを見れば、嫉妬してしまう。
恋人は美容師で相手は店の客なんだからと普段は納得を心に呼びかけているがでも、今日はどうもようすがちがうのだ。六時に来てくれと言ったから俺はそのとおりに来たのにロイドくんは俺のすぐ後に来た女性にずうっとかかりきりでかれこれ三十分。動揺を必死に押し隠して机に置いてあった雑誌を読んでいる振りもしてみたがもうそろそろ限界だ、そう思ったときふと、鏡越しにピタリと、目が合った。俺が声を出して呼ぶ前に酷薄な唇が音無く言う。
『ごめんな』
なにに対してのごめんなのかは微妙だった。待たせてごめんななのか、キレイなお姉さんにかかりきりでごめんななのか、浮気しますごめんななのか。やばい、三番目だったらどうしよう。ていうか、(髪がキレイなら、誰でもいいってことですか・・・!)
呆然としたまま待っていると、会計を終え客を送り出したロイドくんがとうとう俺のうしろに立った。カクカクと首を回せばごめんと降ってくる。
「・・・・・ロイド、くん、あの、」
「あの人俺の顧客じゃないんだけど、担当の同僚が調子悪くて急に帰ったもんだから、俺が切ることになってさ」
「は、はあ、」
「本当はゼロスにひとこと言いたかったんだけどお姉さんがさ、あの子カッコいいね名前なんていうか知ってる? とか言うから、あ、知らないふりしとこうと思って」
「へ?」
だって恋人を他の女の人に紹介なんてできないだろ、つうか、俺以外の人にゼロスを見せたくねえような男だぞ、俺は。髪留めをつけながら耳元、小さな声はささやいた。俺はそこでやっと、事の次第を知った。俺もロイドくんも互いに嫉妬していただけだった。なんて、バカップル。
だからごめんな、なかなか来られなくて。ロイドくんはまたあやまった。そういうごめんだったのか、全部呑み込んでようやく肩の力が抜けた。ついでに涙腺もこわれた。ぶわっと、思わずあふれてしまったがなんだか止めるのもばからしい。途端あわてふためいた恋人に笑いかけて好きですと、声には出さずに言った。しばらく申し訳なさそうにしていたがやがて頭をぽりぽりとかいて、今日の飲み代俺が奢るからとぽつりと言った。俺は小さくうなずいた。今夜はすっきりといいお酒が、飲めそうだった。
←