「すまないが、明日はすこし、やすみをもらってもいいか?」


磨いていた切っ先から顔を上げる。二人旅を始めてから、この男がこんなことをいうのは初めてだった。どうしてと、理由を聞いてやる。年上の男は目を細めて、まるでやさしさでくるんだような口調で告げた。


「―――アリシアの、命日なんだ」


ぴくり、剣を持つ手が震えた。それでも平静を装うのはわすれない。唇の端、わざと持ち上げてうなずいた。柄を握る指先、込めた力は限りなくつよい。


「いいぜ、好きにしろよ」


ありがとうと、返事をしたその顔はやけに明るかった。おやすみと、言った声はやけに甘かった。とさりとベッドにもたれるのと同時、指先から一筋したたって絨毯のウールを濡らした。一点の朱、じわりと染みて容易には消えそうにない。どこか、過去の少女に似ていた。いたいなあとようやく痛覚がハッキリしてそっと剣を床に置く。舐めた指は鉄の味がした。




翌朝いそいそとリーガルは出かけて行った。俺を気にしている気配があったけれど起きたのは教えてやらなかった。眠っていると思い込んでいたらしく、気づかれないようにそっとキスをして出て行ったのには内心満更でもなかった。けれど、ひとり残された部屋でゆっくり身を起こして、ベッドの空白はすこしばかりむかついた。腹立ち紛れにシーツを蹴飛ばしてから両腕を伸ばす。みしみしと、背が解放感に鳴く。野宿つづきに久々のベッドは有難かった。
窓の外、アルタミラの陽は燦々とかがやいている。朝を主張する光に逆らって二度寝をするのはじつに小気味良かった。


もう一度目覚めてシャワーを浴びて、ベッドに飛び込んだころにふと、キィとドアが開く。
おかえりと目をやると、目元が妙に赤かった。俺じゃない人間のために泣いた証、胸焼けがする。リーガルは気丈を演じるように口角を上げた。


「悪かったな、待たせてしまって、」
「・・いや、気にしてねえよ」


そうかと曖昧にうなずいて、リーガルはずるずると靴を脱いで放ってベッドの縁に腰かけた。振り向いた赤い目は揺らめいていた。めずらしいことだった、むこうから誘ってくるのは。


惚れた男のこころ、追憶の少女はまだ、消えない。それが気に入らない。俺を求める舌はわざと無視をした。唇を離せば惜しむような吐息。
だからまだ好きだとかそういうことは言ってやらない。今すぐにでも告げて、全部染め抜いてしまいたい衝動にはあえて気づかないふりをする。
けれどリーガルが過去の恋人を一瞬でも忘れたらそのときは、喉もとに噛み付いて骨まで愛して俺を忘れられないようにしてやるのだ。想像しただけでも猛々しい感情が背を走る。頬を撫でてやれば潤んだ目が見上げた。(あせるなよ、いい大人なんだから)哂いながらお望みのキスをしてやった。筋肉質な身体はわずかにふるえた。すべてを俺が奪い取る日は、そう遠くない。




皮膚も髪も骨も血も、こころも全部、俺のもの


(分けてやる気なんか、さらさらない)








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20090322:無料配布冊子より