微ホラー注意


火花爆ぜる。濃紺の夜を力強く照らし敵を寄せつけん、かがり火は薪の命を喰らっては吐き出し続ける。薄橙にかがやく兄の横顔を盗み見た。間の抜けた顔であくびをしては、左肩にたて置いた刀をきゅっと握り締め覚醒を保っている。アスベルひとりに見張りを頼むのはちょっと、ねえ。シェリアが眉をひそめていた理由もよくわかる。くっと笑うと兄さんはむっとした顔をした。

「ヒューバート、いまバカにしただろう」
「…そんなことありませんよ」
「ヒューバートが嘘ついた」

わざとソフィの口ぶりを真似て、あぐらをかいていた兄は膝を抱える。毛布が拍子にずり落ちた。兄はしばらくそのまま堪えていたが、一陣、夜風がゆくのにぶるりと震えてまた肩までくるまる。かっこつけたがりの兄は、かっこのつけ方をよく知らない。

あんまり辛ければ先に寝てください、僕が起きてますから。目蓋の重そうな兄に言うと、俺はお前の兄さんなんだぞ、ギロリ、睨まれる。よく眠っていた背後のソフィが身じろいだので、文句はそこで止まった。

草木が寝息を立てる。どこか遠くで狼の夜泣きも聞こえる。ぽっかりと木の拓けた、おそらく狩人の休憩場で、火を囲み見張りの交代を待つ。昼間は元気のよい兄も、さすがに口数が少ない。はたと思い当たった。おそらく眠いだけではないのだろう。

こちらから彼の話題を出すことは、普段なら、避けていた。兄を不安にさせるのはわるいと思っていたからだ。しかし今日は考えこんでいるようだから、すこしでも力づけてやれればとわざわざ振った。

「兄さんは、彼を元に戻せると思っているんですね」

ぱちくり、まるい瞳は急速に覚醒する。リチャード・ウィンドルその人は、この空の上、ガルディアシャフトで今もきっと苦しんでいるにちがいない。兄はすこしばかり考えこんでいるようだった。そのあとの言葉を考えた。だってあいつは、俺の親友だから。てっきりそんな言葉が返ってくると思っていた。しかし兄は薄く笑ってこういうのだ。

「戻せるとか戻せないとか、そんな問題じゃないんだ。俺はあいつを、取り返さなきゃいけない。だってあいつは、二番目のヒューバートだから」

最後の言葉に、なんと返せばよいのかわからなかった。視線でつづきをうながそうにも、その目は薄暗く炎を見つめている。

「兄さん、」
「ヒューバートがいなくなった。シェリアもソフィもリチャードもいなくなった。そう思ったんだ」

聞きかけて、幼少の話だとわかった。七年前の悲劇に立ち会ってしまった名前。かがり火の爆ぜる音が勿体をつける。兄はらしからぬ落ち着いた声で話した。

「俺はさ、ヒューバート、いつだって一番にお前を守ってやらなくちゃって思ってた。だって母さんがいつも言うんだ、お前は兄さんなのだから、ヒューバートを、ヒューバートに、ヒューバートと。でもお前は俺を残して行ってしまった」

だから騎士学校に入ったんだ、すこしでもお前に追いつきたくて。それから兄はわざと不真面目な口調で一番厳しかった当時の老教官への不満を漏らす。そうして猫のようにしなやかに赤緑のくさはらに左手をつくと、片手を僕にすいと出した。骨ばった掌は裂くように毛布を暴いて僕の左手をがしり掴む。

「それなのにヒューバート、戻ってきたら俺なんてさ、手が届かないようなところに行ってるじゃないか。へこむよなあ」

はは、笑いながら兄は力をこめる。痛い、声を上げると兄はすぐに手を離した。赤いような青いような痣が僕の左手首に残る。それは火に照らされた兄の瞳の色によく似ていた。背筋が粟立つ。

僕は思い違いをしていた。兄が親友に固執するのはただ純粋に彼を思ってのことと考えていたが、そうではなかったのだ。せいぜい横顔を盗み見るていどの僕の易しさでは到底及ばぬ、兄は親友を通して僕を凝視していたのだ。

「だからさ、リチャードは俺が取り返すんだ」

その日初めて垣間見た兄の執着は僕にまっすぐに伸びて子どもの傲慢のようにがんじがらめにした。油断しているうちに風に眠ってしまった火種をあわてて起こす兄は、もういつもの兄だった。僕はこれから一生兄にとらわれて生きるにちがいない、そんな予感がしていた。

(2010.0816)