メイドの持ってきたいくつかの手紙をベッドに広げて、懐かしい名前に目を細める。スカーフをほどいて部屋着に着替えると一通ずつ封を切った。リチャード宛の封筒は日に何十も届くが、親しい友人の名前のものだけは検閲せず直に持ってくるよう言いつけてあった。

パスカル女史の珍妙な旅行記、公の文にはできぬフェンデル某高官の皮肉の利いた手紙、ソフィから定期的にとどく彼女の花壇の成長記録、何度も噴き出しながら読んで、それから最後のひとつは空けもせずに放っておいた。白い封筒、見慣れた癖字の宛名を見れば差出人などすぐわかる。読む気はしなかった。

アスベルにはしばらく会っていない。
夏を過ぎた緑葉のそよいでいた頃であったと思うから、おそらく三月ほどになるだろうか。ふたりで遠乗りに行ったのが最後になる。理由はリチャードが彼を遠ざけたからに他ならない。

馬を繋いで湖畔で汗をぬぐい、並んで座った木陰でリチャードは彼を拒んだのだ。君との友情にもう未練はないと切り捨てた。(アスベルはひどくおどろいた顔で僕を見ていたっけ)やわらかく差し込む夕陽のよう、ぼんやりと思い出す。

アスベル・ラントは、リチャードが初めてこころゆるした友人であった。そうしておそらく生涯かけがえのない友でもあった。その命を何度も救い、見返りも求めずけらけらと笑った男、底のない彼の明るさはリチャードにひどく快かった。裏表のないやさしさに何度も勇気を与えられた。そのとなりをゆくのは幸福なことだった。しかしそれは既に過去に他ならない。やわらかな不定形の友情など切り捨ててしまった。友人などには最早戻れぬ。

もしリチャードが今戻ればアスベルはきっと死ぬ。

いつからだろうか、かがやく新青の瞳に同時に尽きぬ暗闇を見るようになった。彼のひかりは強すぎて、だからそれは、その内にひどく暗い影を落とす。きっと、アスベルはやわらかく明るい闇を抱えているのだ。

それに気がついたのはたぶん、なにかのパーティの夜だったとおもう。アスベルは食事となると無知なふりをして、いつも王より先にフォークを伸ばす。そうしてその身に危険の及ぶ前に自らを盾にしようとするのだ。無邪気にうまいうまいと食べるようすはほほえましく、そしてリチャードを苛立たせた。
友を守ることだけに必死になって、そうしてみずからを省みず死に突進せんとしているのだ。彼のやさしさは自分に向かわない。守るために散ることなどきっとなんとも思っていない。

そんなものはいらなかった。
毒見など、アスベルがする必要はないのだ。先に散る友情などいらない、うつくしく終わる友情なんてリチャードは欲しくない。
だって僕は強欲だから、そんなものでは足りないのだ、リチャードはシーツの上で膝を抱える。窓の外をゆく鳥の白閃は白い太刀を思い出させて腹が立つ。苛々と目を瞑った。

代わりに死ぬということはつまり、途中でリチャードを投げ出す行為に他ならぬ。それでは満足できないのだ。放り出すことなんて許さない、背負うつもりなら一生背負え。死なばもろとも、そうでなくては気が済まぬ。先に美しく散ることなど、リチャードは許さない。亡骸を悼んで涙など、誰が流してやるものか。目を覚ますまでその頬を打ってやる。

リチャードはままごとの友情を望まない。

男を切り捨てたあとに彼はその胸倉をつかみ言った。

「覚悟しろ」
「生半可なきもちで、僕の面倒はみられないぞ」
「だが君の覚悟を見出したら僕はすぐさま君のもとにかけつけよう、その日まで、さよならだ」
「さよならだ、僕の親友」

そうして遠い夏の日、ドンと胸を押した。別れの日である。
脳裏に呆然としたまぬけ顔を思い出しようやくむかっ腹がおさまってくる。同時に空腹に気がついた。

目蓋を持ち上げて手紙を取った。中にはとりなしの字でも並んでいるにちがいない。手首をひねって窓際の整然とした机にふいと投げた。ぽすり、おそらく何枚か入っていた封筒は机に届く前に絨毯に落ちたが拾いに行くのは面倒だった。そういえばこんなこと、城では習わなかったな、などと、乱雑を教えた友人、否、元友人を思う。なんだかおかしかった。(動作のひとつまで染みこむほど、僕らは近くにいたのか。そうか)
頬を照らす藍の夕陽があたたかい。夕食は部屋に運ばせようと思ってゆっくりと身を起こした。


(2010.0423)