腹になにかが当たった気がして、目を覚ますと横に眠る男の肘だった。身体をずらし、ぼんやりと背後の窓を振り返るとまだ外は薄暗だ。メイドには起きていくまで開けないよう言ってあるし、念のため鍵もかけてあるから、もうすこしばかり寝ていようかと乱れた掛け布をかけなおす。その気配に剥きだしの肩がぴくりと動き、あ、と思った瞬間兄は起きた。寝ぼけまなこは数度しばたたき、それから視線を伸ばして僕をとらえる。起こしてすみません、小声であやまると兄はのんびりと笑った。 「ヒューバート、おはよう、」 「…まだおはようじゃありませんよ、あいにくね」 「んん?」 おぼつかない視線は藍の空をゆっくりとさまよい、それから僕にもどる。そうだな、はは、うなずいて兄はけだるそうにその腕を僕に伸ばす。首にしがみつかれるとくせっ毛がくすぐったかった。なあ、ヒューバート。話しかけられると鎖骨がくすぐったかった。なんですか、うながすと兄は首筋を食みながら言った。 「俺、また起こしちゃったかな、ごめんな」 「べつに、かまいませんよ。兄さんの寝相のわるいのはいまに始まったことじゃありませんから」 「そうだっけ、はは」 悪びれたようすなどこれっぽっちもない。兄は一応はあやまるが、おそらく本心ではそんなこと、一寸も思っていないだろう。たちがわるいと思う。幼い頃からヒューバート夜怖いだろ? と言ってもぐりこんできたのももしかしたら意図的なものだったのかもしれない。おそろしい子どもだ。そのせいで僕のおねしょの余波を食らっていたけれど。(まあ、シーツをこっそり干すのを手伝ってくれたから、許しましょうか) 寝なおそうと思ったのに兄がいたずらに首筋をからかうせいでそうもいかない。隈でもできたら母さんが心配しますよ、同じ屋根の下にいる母のことを耳打ちしたのに、兄はこの数年のうちに精悍さを増した男の顔で、あいまいに笑っただけだった。わるい大人の顔、ごまかしの表情。ずるい。そうして兄さんは首をかしげると、わざと困ったように眉尻を下げていうのだ。 「ごめんな、俺がいつも誘うからわるいんだ。ヒューバートは、なんにもわるくない」 (ああ、またこれだ、) 『ヒューバートはわるくない』それは兄が数年前、最初に僕と関係を持ったときから毎回といっていいほど口にすることばだった。俺がわるいんだから、そういって兄はけらけらと笑う。はじめのうちこそ、僕に数々のタブーを意識させまいという気遣いかとおもっていたがとんでもない、その免罪文句は回を重ねるごとに、僕に罪深さを押し付ける。兄のせいだと言い切って本当にそれでいいのかという自責が僕を苛むのだ。兄の本当のねらいはそこだったにちがいない、すがっていた当初の自分がにくらしい。(だいたい成人の祝いだとかいって兄が強引に僕に酒を飲ませて跨ったのが根源だ、すべて計算ずくに決まっている) 僕の兄さんはずるい。自分が望めば僕がたいていを許してしまうと思っている。(そして口惜しいことに当たっている)そうして要求するくせに、わがままでごめんな、などと反省しているふりをする。(そうして僕に責める言葉を封じさせる)それからまた繰り返す。(僕のいない七年にまったくなにがあってこんなに捻じ曲がってしまったのか。否、幼い頃から捻じ曲がっていただけだった。合掌) 確りと筋肉のついた背に両腕を回し、加減もせずに力をこめてやった。苦しいよ、兄が嘘くさい吐息をもらす。僕は笑って言ってやった。 「そうです兄さんがわるいんです、全部ね」 そうして強引にキスをして押さえつけ抵抗を殺す。ベッドの最後の非難もやがて兄の声に掻き消された。 そうだ、兄の思惑に気づかぬふりをしてその言葉を信じてやる僕もまた、結局はずるいのだ。たいした似た者兄弟ですね、火照りはじめた耳に流しこんだがもう兄さんには届いていなかった。 (2010.0818) |