朝鳥の声に目を覚ますと、すでに彼は半裸に纏うところだった。カーテンの隙間からのぞくひかりが、ひどくまぶしい。

剥き出しの肩口が寒くてやわらかな羽毛に首までもぐると、気づいたヒューバートが生真面目に挨拶をする。うんともああともつかぬ、あいまいな返事をするじぶんはなんと怠惰なのだろうと寝ぼけ頭に思っていれば、ファスナーをシュッと上げた彼はベッドに手をつき身をかがめて、ひどく自然な仕草で額に触れた。そうしてあたたかな感触がああ唇なのだとわかったときにはもう離れている。

すばやく上着を羽織るさまを見ながら、ああ僕ってやつはなんてにぶいのだろう、もうすこしはやく気づいたらちょっとでも長いこと、その幸せを噛み締めていられたのにといつもなさけなくなる。

寝転がっているのが人を鈍くさせるのだろうか。わからないがどのみち僕もそう長居はできない、とにかく身を起こした。一糸纏わぬ身に春先の朝はやんわりと冷える。ふるりと震えればいささか皺の直された昨日の服を手渡される。先に起きて整えておいてくれたらしい。

礼を言って受け取ると、身じろいだときに身体がひどく軋んだ。骨と骨が擦れる、異常を告げる音。男同士の非生産的行為を詰るようにみしりと。わずかではあったが顔をしかめたのはおそらくばれてしまった、ヒューバートはテーブルの上のマグに伸ばした手を一瞬止めてそれから、今度クッションを買いましょうと言った。ラントの羊はいい毛がとれるからと。小さな気遣いも嬉しかったが家具を買おうという提案が、僕にはとても、幸せなことに感じられた。


ラントのはずれ、森の奥。人里遠く、拓かれず、あるものといえば草花と小川と穏やかな風だけの、正真正銘森の奥、僕と彼の小屋はある。木製のちいさな小屋、テーブルと本棚とベッドだけの殺風景な部屋。街中でそう頻繁に会うこともかなわない関係だからとヒューバートが顔の利く職人に頼んで造らせた。

狭くてもかまわないからと言ったとおり、大人の男ふたりが入ればすこし圧迫感があるなという程度の、狭い狭い、部屋。けれど数ヶ月に一度の逢引にはちょうどよかった。若さ、ベッドで戯れて、時に彼は月夜に本を読み、僕は彼の入れたココアをすすってゆるやかなひとつの夜を過ごす。そうして朝がくればまたそれぞれの生活にもどってゆく。

それはひと時というにふさわしい、短い、あまりにも短い時間であったけれど僕は満ち足りていた。小屋にはひとそろいずつマグと歯ブラシ、すこしずつ増えていく彼の本、すこし露骨過ぎました、ヒューバートのそう言って照れた大きなベッド。きっとこれからもっと、物が増える。クッションはそのひとつにすぎない、そう、お互いが思っているだろうという事実が僕にはひどく、幸せだったのだ。

いい機会だからカバーの刺繍にでも挑戦してみようかな、僕が言うとヒューバートは変な顔をする。失礼な。…たしかに手先は不器用だけれど。まあ好きにしてください、そっけないように聞こえる返事だったがその声には隠せない包容力がある。僕は彼のそういうところが好きだ。

「なにをにやにやしているんです、早く服を着たらどうですか」
「え? …ああ、このままでいたら心配して、きみがまだここにいてくれるかなって」
「…自惚れないでくださいよ」

そう言いながらも否定はしないのだから、彼は可愛らしいとおもう。上着に腕を通した。


マグを置いたヒューバートはまた手紙を書きますと言って、イスから立ち上がる。支度はとっくに整っていた。次会えるのはいつだろうなどと考えながら、わかったとうなずく。

「コーヒー、入れておきましたから」
「…ああ、ありがとう」
「では」

キキィ、別れの音はいつだって木のドアが引きずる音だ。それは同時に彼がやってくる音でもあり、僕は、この音を聞くたび胸がぎゅうっとなるのだった。

ちいさく湯気を立てるコーヒーをいただいて、カップをかるくすすいで、身支度をして、それからようやく戸に手をかける。街にもどるにはいつも躊躇があった。この小さな家でふたりで暮らせたらいいのに、それはかなわぬことだと誰より僕らが一番わかっている。

しかたのないこと。いつもどおり苦笑して、別れの音を立てる。ふと、途中でなにかがドアにぶつかった。あれ、と足元を見ればその裏には小ぶりの花束が置いてある。青い花、燦々と。ゆっくりと持ち上げてようく見ると、あいだにはメモが一枚挟まっていた。

『家を出るのが寂しくないように』

(…ああ、ばかだな、ヒューバートは、)

こういうことをされてしまってはよけいに寂しくなると、かんじんなところには気がつかないのが彼の、愛おしいところなのだ。


紺碧の花と見詰め合ってすこし噴く

(2010.0321)