いったいこの城にはいくつ隠し通路があるのだろう、冷たい岩壁ををうなじに感じながらほとほと感心してしまった。薄暗い通路にくすくすと小さな笑いが響く。頬の横についた手をゆるくつかむと、首筋に顔をうずめていた男が顔を上げた。わずかな明かりでも楽しそうなのがわかる飴色のひとみ、僕の考えを読んだように彼は口をひらいた。

「便利だろう? きっと先の王もこうして使っていたんだろうね」
「…こんな、いかがわしい目的で?」
「純愛だよヒューバート」

拗ねたように、からかうように、彼の口ぶりはかるい。その軽さとは裏腹におそらくことばは心底本当で、それはひどく重くて、僕はわらうしかできなかった。


所用でラントに赴いたついでに、すこしばかり余裕があったからバロニアに立ち寄ることにした。このところしばらく国内での査察にいそがしく、久々のウィンドルであったから僕も若者、恋人の顔を見たくなったのだ。

謁見を望む文はラント滞在中に出しておいたから、船を下りたその日の午後には陛下の執務室に通ることがゆるされた。僕が入室すると掛けていた陛下は立ち上がり、歓迎の意を述べて人払いをする。そうしてこの隠し通路に連れ込まれた。壁に並ぶ背の高い本棚のあいだ、細工の施された石円柱はくるりと回るかんたんな仕掛けであった。日当たりのよい執務室とはちがい、薄暗い通路にはかすかなひかりが反射して入り込んでくるだけで肌寒かったけれど彼がそれは嬉しそうに身を寄せてくるからそう冷ややかには感じなかった。

この通路は初めてであったけれど、陛下にこうして連れ込まれるのは今に始まったことではない。公用の登城の際でなければしばしば、彼は「人目のないところに」と僕の手を取った。僕らの恋路は薄暗い逢瀬であったが、その暗闇の中でもひかりを失うことのない瞳が僕は好きだった。

華奢な腰を抱いてすこしのあいだ、会えぬ日々をひそやかに語りちいさく笑う。さらさらとやわらかな髪をひとしきり撫ぜて、それから身を離す。

「陛下、そろそろ、」

もどらなければ、言いかけて止まる。わずかに皺の寄った眉間に苦笑した。ふたりきりのときにその役で呼ぶと彼はひどく拗ねる。以前、呼び捨てなければ食事は三食僕がつくると脅されたこともある。想像しえぬ恐怖にけっきょく屈するほかなかった。人前では不機嫌などおくびにも出さぬくせに僕の前では素直に怒ってみせるのだからたちがわるいと思う。(だってまるで僕がひどく特別みたいに、思ってしまうではないですか)しかしそれを聞けばなんのためらいもなくうなずかれるのがこわくて、聞けないでいる。

「リチャード、もどりますよ」

言い直すと彼はしぶしぶうなずいた。隠し通路がストラタまでつづいていたらいいのに、僕の手を握ったまま小さな声でリチャードが言った。愛おしさで胸が詰まって右手でぐっと、石柱を押した。

途端に突き刺すひかりにぎゅっと目を細めて僕らは執務室に出る。陛下は手を離した。そうして秘密をしまうようにそっと石円柱を元の向きにもどす。

「…ウィンドルには、いつまで?」
「明日の朝にはバロニアを発ちます」
「そう…、気をつけて」

力のない声に背を向けたまま僕は言った。

「来月久々に、まとまった休暇がとれることになりました。しばらく、ラントに滞在する予定です」
「! …そう、そうか」

今月末のラント視察はすこしばかり引き伸ばすことにしよう、王様はそう言ってくすくすと笑った。ふりかえるとその笑顔がまぶしくて、ああやはり僕はひかりの下の、王である彼がなにより好きなのだと、拳を握り締めた。

白陽の下では手を握らない


+++
書いてるときナチュラルに、陛下を金色の美神て表記しそうになったんですが自主規制が入りました。たまには自重するよ。たまにだけど

(2010.0503)