昔から、人の動向には聡い方だった。おそらくそのおかげで今のような苦労性に育ったのだろうが、現在の少佐の身分にあるのも同様の理由だろうから、あまり後悔はしていない。

そんな僕だ、彼を初めて見たときには思わず、この人は視線が着彩されているのかと思った。あまりに純粋に感情のままに人を見つめるので、透明の甘い生地に赤、青、黄、鮮やかな気持ちを練り込んでつやを放つ飴を連想させた。(後にその瞳を飴色というのを辞典で知って、ああと納得したものだ)

業務の話題、政治的な話題のあいだはさすがにピシリとした顔つきであったが、話がまとまってただひとりの青年にもどると、あまりにわかりやすい笑顔を浮かべるので思わず笑ってしまった。

リチャード・ウィンドルは、僕の兄に恋をしている。

けれどそれは僕にとっては、ただ傍観すべき事象のひとつでしかなかった。あまりに純粋な初恋のように見えたから、男が男にと偏見を覚えることもなかったし、かといって自分が介入してどうこうしようという気も起きなかった。つまるところ、あまり興味がなかったのだった。


メイドの控えめなノックに目を覚ます。放っておいてくれとだけ言って寝返りを打った。朝食の席に姿を見せないと母がいい顔をしなかったが、あとでもうひとつの故郷の土産話でもすれば機嫌を直すだろう。

ちらりと窓側の兄のベッドに目を遣ると、早刻だろうにもうもぬけの殻だった。あれはあれでわかりやすいものだ、半ば呆れ気味に思って布団に頭までもぐった。親友が来たときだけ兄の朝はわくわくと早い。仲良く僕にはわからない話題を見せつけられるのは面倒だ、僕だってふつうの十八歳なのだ、つまらないものはつまらない。母さんが寂しがるからといって、まったく悪いタイミングで帰省してしまった。せめて惰眠を貪ってやるくらいしか、報復のしようはないではないか。おやすみなさい。


しかし今日はどうやらとことんまでついていないらしい。昼過ぎに起き廊下に出ると、まずこの国の王に出くわした。(言葉にしてみると、そういえばシュールである)ぎこちなく挨拶をすると日頃の労をねぎらわれる。よほど疲れていたんだね、未だ寝間着の僕に気遣いの視線はひどく眩しい。昨夜は遅くまで書き物をしていたのでとてきとうに嘘をついて通り過ぎようとして、ふと気がついた。

「兄は、一緒ではないのですか?」

陛下はぴくりと眉を動かした。はっとして、僕は首を振った。彼は一瞬ではあったがたしかな気まずさをその瞳に浮かべていたのだ。いえ、すみません、食堂に行きますのでそれではと、階段を下りようとして裾を掴まれる。振り返るとひどく頼りない顔で国王が言った。

「すまない、トイレの場所を教えてもらえるかな、」

もじもじとした口調に首を振るほど、僕は人でなしにはなれなかった。


言われた通りに案内して、それから逡巡し、けっきょく外で待って出てきたところをつかまえる。彼は意外そうな目をして僕を見た。

「ヒューバート? すまない、待たせるつもりは、」
「いえ、僕があなたに話があっただけですから」

そう言って、僕と兄の部屋に連れこんだ。少々(主に兄さんの方が)よごれているが構わず通す。陛下を手前のベッドに座らせ、自分は椅子を持ってきてその横にかけた。
彼は不思議そうに、ほとんどが幼いまま止まった室内を見渡し、時おり興味深そうに目を細めていたが僕が座ると向き直った。

「ええと、その、なにか僕に、用かな?」
「いえ。すみません、これといった用事はないんです」
「え?」
「兄のところに、もどりにくいのではないかと思って。何度もいらっしゃっている貴方が部屋の場所を把握していないはずがないでしょうに、呼び止められたものですから。…出過ぎた真似でしたら、すみません」

それに、トイレから戻ったあと、なんだか目が赤いように見えたから、とは言わずにおく。虚を突かれたようすであったがやがて彼はふと微笑んだ。くしゃりと歪む眉は年にしては幾分幼い。くすくすと彼は笑った。

「参ったな、きみは、とても、聡いから」

ごし、と手の甲で一度目元をこすると、陛下の話題はもう子ども部屋のことに移っていた。

兄とソフィと、それからシェリアが、食堂で和気あいあいとケーキを作っていたのを知ったのはそれから数刻後のことだ。彼がやってきたからとそのために作ったらしい。幼馴染の少女と笑う兄とそれを見つめる彼の姿は容易に想像がついた。
相伴にあずかったロールケーキはやわらかくしっとりとして、木苺の酸味が利いてそれで、甘ったるかった。

僕が傍観の立場をひととき離れたのはただ、いたずらに彼を哀れんだからに過ぎない。


(2010.0618)