その包みを受け取ったのは、セイブル・イゾレの視察からもどったときのことだった。千草色の小包のリボンを外せば、菓子と小さな手紙が入っている。裏返して少々驚いた。もうすこしで取り落としてしまうところであったかもしれない。

なんとか文机に荷物を置いて、もう一度文面に目を通す。この前はありがとう、ひとことだけであったがその後のサインが問題であった。久々に狼狽し眼鏡を持ち上げて、ごしごしと目を擦ったがどうやら政務のために視力が落ちたわけではなさそうだった。何度見ても教科書のお手本のような字は歪まない。

リチャード・ウィンドルが、僕に手紙を送ってきた。

二人向かい合って話をしたことはほとんどない。彼は兄の親友であって、僕の友人ではないからだ。せいぜい、先日ラントの家で多少話をしたくらいである。それも幼少期は兄がこんな腕白をしてだとか、他愛もない話だ、まさかこんなリアクションがあるとは思っていなかった。

動揺しながらも頂き物だからと菓子に手を伸ばしひとつ取った。平たい丸缶の中には上品なクッキーが数種類ずつ詰められている。濃茶の四角いそれは、シナモンがほどよく利いておいしい。甘味を噛み締めながら、贈り主のことを考えた。


実のところを言えば、僕は彼のことをあまりよく思っていなかった。むしろどちらかといえば、トラウマに近い。 遠い日、家族との別れを宣告されたあの日、僕はバロニアの街で、兄を彼に奪われたように感じたのだ。

幼かった僕にとって、「兄さん」はほとんど世界のすべてといってよかった。なにをするにもついて回ったし、その先で危ない目に遭うとしても兄さんがいればなんとかなると思っていた。(もっとも、ラムダの一件でそんなことはただの夢想であったとわかったわけだが、)オズウェルに着いてからもしばらくは兄を想って泣いていたように思う。魔物をズバッと倒し、窓からサッソウと侵入し、騎士を目指すと天を指差す兄は僕にとって、ヒーローだったのだ。あるいは戦隊ものが好きな理由の一端は、兄にあるのかもしれない、とも思う。(…サンオイルスター『レッド』だし)

しかしあの日を境に、ヒーローは彼に奪われてしまったのだ。ふたりが出会った日から、兄は彼のヒーローになってしまった。演出の中にはいつもかならずヒーローに助けられる少女や少年がいる。僕はきっとその座を彼に取られてしまったのだと思った。夢見がちな騎士の卵には、儚げな陰影を帯びたやんごとなき王子の方が、理想的なのだろうと。

だから僕は兄を諦めひとり新しい環境に適応するべく、石にもかじりつく勢いで勉強した。これからは見知らぬ地で、自分で自衛せねばならぬ、幼かったなりに逞しかったと思う。そうしていつの間にか家を負う身になっていた。

必死の歳月に幼き日の幻想はつゆと失せたが、刻まれた印象は火傷の痕のように残って消えぬ。

そんな人物から手紙を送られて、いったいどうしろというのだろう。(しかも名前のスペルは間違っていたし)そう思うとなんだか腹が立ってきた。過ぎた日のことをぐちぐち言うほど僕は了見の狭い男ではないが、何年経っても兄には彼が守るべき対象だし、彼に至っては僕の名前さえ満足に知らない! 腹が立つ! 腹立ち紛れに食べたクッキーはひどくうまい、腹が立つ!


数日後の会議でウィンドルへの遣いに手を挙げたのは、名前の間違いを正してもらうためである。空になったクッキー缶の店を教えてもらうためではない。

(どこか孤独を湛えた飴色の瞳を思い出したせいでも、断じてない)


(2010.0622)