さまざまなことを教えこまれた。王となるのに必要な知識はいくら吸収しても足りなかった。その中で僕がなによりも重ねて言われたことはとかく、「生きる」ということだ。地を這ってでも草を食んででも生き延びること。それが第一。かならず他人を疑え必要とあらば周りの者さえ盾にせよ、以下数十の教えがつづく。今でも暗唱できてしまうのは、当時僕にそれを教えた教師が実際に暗殺者であったせいもあるだろう。僕に薬を盛った彼がいったい何を思いながらそれを僕に説いたのか想像するとすこしばかり愉快である。

薄く笑うと途端に咳に連なって、口元を覆おうとしたのに片方の手すらも動かせない。ガンガンと鳴り響く頭を一ミリでも動かそうものなら騒がしい合奏にシンバルが加わったようだ。なされるがまま短い咳をくりかえしていると、台所に立っていたヒューバートが慌てて走りよってきた。ベッドの横に膝をつくと薄い掛け布ごしに胸をさする。おさまるとそれまですっていた林檎を持ってきて僕の口にひとくちずつ運んだ。はりついた喉にやわらかな冷たさが心地いい。食欲はなかったがヒューバートがとにかく食事と水分をとるよういうので、おとなしく従いゆっくりと咀嚼した。

林檎と水をたっぷり与えると満足した恋人は最後に風邪の薬だといって白いカプセルを鞄から出した。常備薬で持ち歩いているのだそうだ。真面目な顔で使用上の注意をよく読んだヒューバートは二粒取り出し僕の口に運ぶ。水を含まされ、僕はそれを飲んだ。一安心したようにヒューバートはほっと息をつく。そうしてすこし寝ますと言ってすぐそば、二人掛けのソファにその身を横たえた。ややあって規則的な寝息が聞こえてくる。僕は首をゆっくりとうごかしてのらりくらりと舌を口をひらいた。舌でちいさく押し出せばほんのすこしとけたカプセルがふたつ重力にしたがってシーツに落ちる。パジャマのポケットにそうっとそれをしまった。これだけの動作でも息が切れる。そうしてだるさに耐え切れず僕もずるずると眠った。ごめんね、つぶやいたつもりだったが枯れた喉はそれを形にはせず、また眠るのにせいいっぱいだった僕は規則正しい寝息がそのとき途切れていたことにも、気がついていなかった。

目を覚ますと首まで布を被っていたせいでひどく汗をかいていた。うめいたのに気づいたヒューバートがそれを拭ってくれる。心地よさにいくらか気分は楽になった。ごめんね、今度こそ僕はあやまった。謝罪の理由にヒューバートが耳を寄せる。せっかくの休みなのにと続ければ、あなたはそんなこと気にしないでいいんですよといって眼鏡をすっと上げた。そういったってすまなく思うきもちはなかなか消えてくれなかった。

久々の長い休みだった。ふたりで話し合わせて休暇を合わせ、ラントの外れの小屋にやってきたのだ。僕はもちろんひどくこの日を楽しみにしていたし、たぶんヒューバートもそれは同じだったとおもう。身体のだるさから昨日の夜の性急な口付けを拒んでしまったのは本当に申し訳なかった。(受け入れていたらきっともっとつらかったのだろうけれど、それにしても)

たださいわいなことにデールには数日帰らないと伝えてあった。おかげで急な熱にも関わらずこうしてゆっくりと休めている。政務の疲れが出たのでしょう、僕の手をそっと撫ぜながらヒューバートが言った。ごめん以外に言葉を持ち合わせぬ僕はだまって、されるがままに身を任せていた。そうして何度か昼が落ちて夜がきた。熱はすこし下がったが、身体はだるくほとんど前進しているとは言いがたかった。

そうして数度目の夜、ヒューバートは僕に粥を食べさせるといつもの薬をとりだし、しかしそれを僕に飲ませようとはしなかった。ぷちぷちとふたつ取っていつもなら僕の口まで運ぶのに、今日はちがう。ヒューバート、ようやくすこし出せるようになった声で呼べば、ヒューバートはおもむろにそれを自分の口に含み、水で流し込んだ。思わずああ、と伸ばした手はゆるやかに空を切って力なくシーツに落ちる。ごくり、喉仏の上下するのがたしかに見えて泣きたくなった。

「ヒューバート、どうして、」
「あなたが安心して薬を飲めるように」
「!」

僕が飲んだのとおなじものです、そう言ってヒューバートが僕の手のひらにのせる。これが毒なら僕も死にますから、平然と言ってのける恋人はしかしそれを僕の口に乱暴に運ぶことはしてくれない。あくまで自分で飲めということらしかった。

僕はしばらく戸惑っていたが、やがてみずからの手でそれを口にした。薬を飲んだのは、そういえば久しぶりのことだった。慣れない身体によく効いたのかすぐに眠気が回り、僕の意識はすうと途切れた。だらりとたれた手をヒューバートが握るのが見えてそれが最後だった。

   ***

立ち上がって動ける程度には、次起きたとき回復していた。熱はすっかり下がっていたし、意識もはっきりしている。しかしかわりにヒューバートがお腹を抱えて寝込んでいた。あたりまえだ。病人と同じ薬をなんでもないのに無造作に飲んだのだから。

口数の少ないヒューバートをベッドに寝かせ、今度は僕が看病した。しかし自分でいうのもなんだが、僕の看病はひどくつたないものだった。まず調理がおぼつかない。気がつけば看病される側のはずのヒューバートがキッチンに立っていた。服を着せ替えるのも上手くできない。人に服を着せられることならいくらでもあったが逆の立場になることなど一度もなかったからだ。そんな僕が病人にできることなどほとんど無いに等しい。しまいにはもういいですから、そばに座っていてくださいと椅子を出される始末である。ひとり用のソファに所在無くちぢこまって座り、ごめんね、ヒューバートの腹をゆっくりと撫でながらあやまるとゆっくり首を傾けてヒューバートが僕を見た。なにがですか、いつもよりゆっくりとした口調がしずかに尋ねる。僕は薬を飲まずいたこと、それから先ほどの失態を詫びた。ヒューバートは眼鏡を外した幼い顔でくしゃりと笑う。

「薬は、さいごには飲んでくれたじゃないですか。それに僕はあなたに家事能力なんて期待していませんよ。あやまる必要なんてない」
「! ひ、ひどくないか、その言い方は!」
「じゃあ、あなたひとりで満足に洗濯ができるとでも?」
「う、そ、それは…その…」

いいんです。ヒューバートの口調はおだやかだった。

「いいんです、僕はあなたがさいごには僕を信じてくれると知っているし、家事ができないあなたも好きだから」
「…ベタ惚れじゃないか」
「はい。ベタ惚れです」

恥ずかしい台詞をぽんぽんと言ったあと、これは寝言ということにしておいてください、なにげなくいうので笑ってしまった。長い寝言。

しかしヒューバートは看病の疲れもあったのか本当にすぐに眠ってしまった。時折り寝苦しそうに寝返りを打っていたが、自分がそうされて気持ちよかったように滲む汗を拭ってやると多少心地よさそうに眉間の皺をゆるめていた。(つぎ熱を出したときは、ヒューバートがこんなことをしないよう、おとなしく薬を飲もう)恋人の手を握り、僕は自然とそう思った。

看病する相手がいるのはさいわいなことなのだとは、その日初めて知った。


(2011.0925)