すらりと背の高い男に手を引かれながら、ヒューバートはいつになくおどおどとしていた。通りすぎる街並みはいつもと変わらぬそれなのに、今日はなんだかちがって見えて、青朝のユ・リベルテをきょろきょろと見回しては一歩先をゆく男に置いていかれぬよう、小走りを繰り返していた。

養父とどこかに出かけるのは、ひどく久しぶりのことに思えた。この街に連れられてきた当初はよく見知らぬ街を案内されて歩いたものだが、ヒューバートは一度通っただけで道の街灯の数まで覚えてしまう聡い子であったので、すぐにそれも必要なくなってしまった。そんなことならわざとわからないふりをしておけばよかったのかなあ、ヒューバートは思うけれど、ガリードは自分の聡明なところを喜ぶようだったから、これでよかった気もする。

ふと、養父にやや強い力で手を引かれた。あわわとヒューバートが身を寄せると、小型の荷馬車が橋をゆくところであった。前に座る男が会釈をして、向こうに走らせてゆく。気をつけなさい、養父の言いつけにはいとうなずき、ヒューバートは考えごとをやめた。そもそも昨日の夕食のときに「明日は出かけるぞ」と告げられてわくわくしていた外出なのだ。行き先はわからないけれど、ヒューバートは楽しむことに決めた。養父は厳しい人であったけれど決して無理は言わない人で、ときおりヒューバートがよくできると頭を撫でてくれる。だからヒューバートは、ガリードのことはすこし怖いけれど、好きだった。


街の中央の橋を抜け、ふたりは商業区にやってきた。天気もよく、今日は楽しげな露店もたくさん出ている。ヒューバートは興味を引かれてちらちらと目をやったが、ガリードにはどこか明確な行き先があるようで、それに気づくようすはなかった。

連れてこられたのは、道具屋のとなりの店だ。外からはカーテンがかかっていて、ヒューバートには何の店なのかわからない。おどおどと養父につづくと、そこはところせましと眼鏡の並ぶ、眼鏡屋であった。店に入るなり奥の机から立ち上がった主人が、これはオズウェルさまと声をかける。どうやら馴染みであるらしい。初老の白髪混じり、上品なベストを着た男はかんたんな挨拶をすると、今日はどういったご用事で? とそのとき初めてヒューバートに目をやった。

「この子に合うものを探している。初めてかけさせるので、やや弱めのものを頼みたい」

これはまた賢そうなお坊ちゃんで、決まった前置きをして、主人はヒューバートを奥の机に呼んだ。ヒューバートはそんなことを聞かされていなかったが、養父に背をそっと押されておそるおそる眼鏡の並ぶ机のあいだをゆき、机の前の椅子によじよじと座った。

主人が引き出しから取り出した眼鏡をヒューバートに渡す。ヒューバートはぎょっとした。見たこともないへんてこな眼鏡だ、二重に囲む銀縁には定規のような目盛りがついており、レンズは分厚くて、手に持つとずしりと重い。自分はこんな妙な眼鏡をかけて一生を過ごすのかという恐怖が少年を襲った。入学式も、結婚式も、えらい人になれたとしたら栄えある昇進式も、お葬式の写真も、すこしずつ年をとった自分がこのへんてこな眼鏡をかけて微笑んでいるのだ。

オズウェルの家に来てから初めて親への反抗をすべきか否か悩む少年に気づき、店主はほがらかに笑う。

「それは視力を測るためのものですからね、実際にかけるものは後ろの商品から選んでいただきますよ、坊ちゃん」

ヒューバートはそれを聞き、見透かされたのをすこしばかり恥ずかしく思いながらもほっとしていそいそと計測用の眼鏡をかけた。

計測のあいだは、ずうっと世界が歪んでいるような気がしていた。かけたまま歩いてみろと言われると視界がふらふらして足もおぼつかないし、やっぱり眼鏡は重いしやっとのことで計測を終えると、すこし悪いですね、と主人は言った。

ヒューバートが不安げにかたわらに立つ養父を見上げると、ガリードは慣れない手つきでその頭をなぜた。

「遅くまでよく勉強していると聞いているが、今後は消灯時間にはなるべく寝るようにしなさい。身体のできる時期なのだから」

本なら朝早く起きて読んだらいい、養父の言葉に少々申し訳ない気持ちでうなずくと、彼はぎこちなく唇の端を持ち上げるような表情をした。

「熱心なのはよいことだ、家庭教師が皆激賞するのを聞くと…私も少々、鼻が高い」

さあ好きな縁を選びなさい、そう言ったきりガリードはそっぽを向いてしまった。その目はもうヒューバートを映してはいないけれど、ヒューバートはとってもとってもうれしい気持ちになって、足の届かない椅子から元気よくぴょんと下りる。いつもなら落ち着いて振る舞いなさいとたしなめる養父も今日は見てみぬふりをした。

ヒューバートは子ども用の売り場でひとつひとつ手にとってかけてみたり、さまざまな角度から眺めてみたりした。

そのうちのひとつを気に入って、店の主人に渡す。何度か確認をして主人は、少々お待ちをと言って奥の部屋に引っ込んだ。父子ふたり残され、ヒューバートはおどおどとガリードを見上げた。

「あの…おとうさん、」
「…なんだ」
「どうして、ぼくの目がわるいって、わかったの?」

ガリードは押し黙った。両目が空を泳ぎ、上手い言葉を探しているようなそんな顔をする。聞いちゃいけないことだったのかなあ、ヒューバートはもごもごと半ズボンの裾をつまんでうつむいた。

すると、見ていた、とガリードは言う。遠くを眺めるたびヒューバートが小さな眉間に皺を寄せるのを、たびたび物につまずいて頭からどてっと転ぶのを、見ていたのだと彼は言う。ヒューバートは赤くなった。ガリードがそれに気づいてやわらかく目を細める。養子からは見えぬと、わかっているから微笑む。そっと手をつないだ。つよく握れば手折ってしまいそうな小さな手は弱々しい力で、けれどぎゅっと、握り返してきた。



主人に支払い店を出てからも、ヒューバートの慣れぬ視界を気遣ってガリードはその手を引いたままでいた。ヒューバートは朝よりもずっと鮮明になった世界にきょろきょろと目を走らせている。時折りよろめき養父の腰にぶつかりごめんなさいと慌てるのがなんともほほえましかった。

養父は決して息子の挙動に気づいていないわけではなかった。どころか実際は横目でいつでも気を配っていた。来るとき通った商業区、立ち並ぶ露店の前で足を止める。先より人通りの増えたのに注意しながら、300ガルドまで好きなものを買いなさいと言いつけた。ヒューバートは目をかがやかせて養父を見上げる。ガリードは笑わない。よく見えるようになった息子の前で、彼は笑えない。


その日彼の息子は、サンオイルスターレッドのぬいぐるみではなく、父親のために紫苑の花を買った。



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押し花づくりに苦労する養父編につづきます


(2010.0530 for 眼鏡祭)