マルタに怒られるだろうか、そんなことを考えながらエミルは粥を椀によそっていた。持っていた米と、これは食えると言われた山草、きのこだけを煮た簡単な粥であったが男は大人しく食べた。

おかわり、と無言で突き出された椀に盛ってやり、焚き火を挟んだ向かいで自分も食べる。たしかに山菜は歯ごたえがありシャキシャキとして、うまかった。

食事を終えるとエミルは言う。

「リヒターさんは、やっぱりすごいや。食べられる山菜まで詳しいもの」

顔を上げたリヒターは、昔、山に住んでいたことがあるのでな、短く答えただけだった。パチパチとはぜる火に照らされた瞳には夜闇が混じってどこか孤独を孕んでいるように、エミルには見えた。


足をくじいたリヒターを山で見つけたのは夕方のことだ。旅路の途中、夕飯の食材を探しているとき不意に出会った。リヒターはとっさに林の向こうに消えようとしたが、先の魔物との戦いで足をくじいていたせいでエミルに易々と捕まった。そしてエミルは怪我人をひとりで行かせるのを頑なに良しとしなかったのだ。共に来ていたテネブラエにマルタたちへの言い訳を頼み、夜が明けるまではここに残ることにした。近くの豊かな街からキャンプに来る人でもあるのか、数メートル四方切り開かれていて安全に思えた。アクアはテネブラエに嫌々引きずられて行った。リヒターと一度落ち着いて話をする機会を望んでいたエミルの意図を汲んでくれたのだろう。ありがとうテネブラエ、エミルは心の中で礼を言った。

毛布にくるまって背の低い切り株に腰掛けると、エミルは足の具合を尋ねた。リヒターは右足の裾をめくって撫ぜる。エミルの持っていた湿布を貼られて夜目にもわかる褐色のコントラストを確かめるようになぞり、すこしばかりよくなったようだと答えた。この分なら明日にも歩けるようになるだろう、とも。それぎり会話は途切れる。

エミルは星空を眺めるふりをして、切り出し方を考えた。リヒターと話すのは苦手だ。嫌いなわけでなく、どういう風に話していいかがわからないのだ。そしてそういうところがリヒターを苛つかせるのだろうともわかっている。しかし、わかっているからといって簡単には克服できたら苦労はいないのであった。

あの、ととにかく何かを言おうとしたとき、リヒターが同時に口を開いた。

「エミル、すまなかったな」
「えっ、」
「アステルのことを、すでに聞いているだろうが、…あれは俺の、友人でな、悪かった、俺は何度かお前を、あれと重ねて見てしまったと思う。そんなはずはないのに、アステルが帰ってきたんじゃないかと考えたこともあった。…すまなかった」

必要な言葉しか口にしない、初めて会ったときリヒターはエミルにそう言った。つまりそれは、リヒターにとって大切な言葉だったのだろう、そう思うとエミルはそれがひどく、嬉しかった。

ゆっくりと首を振る。ことばは思ったよりもずっと滑らかに口をついて出た。

「いいえ、僕、その、リヒターさんには感謝してるんです。そういう風に言ってくれるってことは、僕を、エミルを認めてくれているってことだから。…それに、リヒターさんはもうひとりの僕のことも、認めてくれる人だから」

もうひとりの僕、エミルは彼をそう呼称する。もうひとり、彼の中には明確な輪郭を持ったもうひとりが存在しているのだ。そうしてそれを認知してくれる人間はひどく少ない、ように思う。存在を知っている人間はあれど、一個の人格として、彼を考えてくれる人はあまりに少ない。かといって彼のことをどう伝えればいいのかも、エミルにはわからない。歯がゆいことだった。

リヒターはそんなエミルと彼を、また旧友だというアステルとを、明確に区別してくれる人だった。エミルにはそれが、どれほど心強く、ありがたいことだったろう。一時自分が誰であるかを悩んだ時期など、リヒターの言葉を思い出して救われた面もあった。そうか、自分はリヒターに礼を言いたかったのだ、ずっと伝えたかったなにかのことばにエミルは気づく。ありがとうございます、言ってみると一番しっくりくるような気がした。リヒターは難しい顔をしていたが、その身に纏う雰囲気は穏やかであった。


遠い日にアステルと旅をしたことがあると、リヒターが言った。旅は破天荒な研究者と道連れであったから毎日が大変で、お守りをするのに必死でいつだってくたくたで、けれどそんな一日を振り返って見上げた夜空はひどくうつくしく、そうして今日の星はあの日の空に、すこし、似ていると。言い終えてリヒターは眠りについたようであった。

エミルはしばし考え事をして、それからふっと微笑み、焚き火の赤に目を落とした。その色は一度も見たことのない彼の瞳に、きっと似ている。

(いまごろどんな夢をみているだろう、もうひとりの僕)


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リヒターはエミルをちゃんと、エミルとして見ていたんだから

(2010.0620)