それはただの、







ぼろぼろだから、ボロ

それがこのネコの名前だった。なんだよその理由と俺が笑うと、名付け親によく懐いたネコは、憤慨したように鼻を鳴らしていた。

おまえの名付け親はいまどこにいるんだよ、と聞きながらその三毛の身体を抱き上げる。痩せっぽちの四肢が暴れた。仔猫の抵抗は抵抗というよりじゃれつきで、くすぐったくて俺は笑った。

しばらくそうしてじゃれていたけど、待っている男は一向に来る気配はなくて、昼の終わりの予鈴も近くて、そろそろ教室に戻ろうかと思っていたとき、じゃり、と、微かに堅い音が聞こえた。反射的に顔を上げると、珍しくまるく見開かれた瞳と目が合う。口元がゆるむのを押さえられない。膝上のネコはぴょんと飛び降りて名付け親の足元に駆け寄った。俺は立ち上がる。

「ゼロス、来ないかと思ってた」
「・・・・・俺さまは、もういないかと思って来たんだけどね」

小さなため息と共に吐き出された言葉。ネコが足元にいるせいで、ゼロスがくるりと踵を返すのより、俺がその腕を掴む方が早かった。嫌そうな顔のゼロスが振り向く。

「あのね、いいかげんにしないとストーカー容疑で警察のお兄さんに連れて行ってもらうよ?」
「すっげー捜したんだぜ、どのサボり場所にもいなかったから」
「いやあの俺の話きいてる?」
「暑い中走り回ったんだからな、とりあえず売店でサイダーおごれ」
「・・・・日本語の通じないほどのバカとはおもわなかった」

肩を落とすゼロスをまあまあとなだめると睨まれた。同調するようにネコが俺の運動靴を踏んだ。



このところ、半ば無理やり、ゼロスのサボりに乱入していた。ゼロスは俺が付き纏うのを嫌がって避けたけれど、俺が追いかけて追いかけてサボり場所を見つけて、2,3日に1度は一緒に過ごせるようになった。

俺は運動部、ゼロスは帰宅部。見つかると逃げるのはそんなに簡単なことではなくて、一旦捕まるとゼロスは渋々となりにいてくれる。最初はダッシュで逃げられていたから、これでもずいぶん進展した方だ。嫌そうにとなりに腰を下ろすゼロスを見ながら、ひとりごちる。ボロは嬉しそうに名付け親の周りをうろちょろした。

ゼロスはふらりと背中を青草に預けた。木々の葉に白い肌が隠れる。残暑はまだまだ根強くて、俺もそれを真似して寝転がった。青い匂いに混じって、ふわりとシャンプーのいい香りがした。ゼロスはちらと横目で俺を見る。そうして、深い、深いため息。

「・・ったく、俺なんかストーキングして、何が楽しいのかねえ」
「楽しいさ、だって俺、ゼロスのこと大好きだし」
「はいはい聞き飽きました。・・・もちっとろくなことが言えないのかね」
「好きだ大好きだどこまででも追っかけ「わーっ!も、いい!もういい!」

慌ててゼロスが止める。俺は必死なその顔に笑った。ゼロスがふてくされる。

「このへんたいめ」
「だからそんなんじゃねえって、俺、おまえと友だちになりたいだけだよ」
「ごめんこうむる」
「は?こ、こうむ、る?」
「俺を追いかける前に国語を勉強しろバカ」

ちょっと得意げに、ゼロスはすこしだけ笑う。

いつだってこんな調子だった。追いかけると避けるくせに、捕まえると構ってくれたりして、馬鹿にしてるのに、やさしくて。

みてると、それだけで、うれしくなる。

じっと見つめていると、気持ち悪いやつだなと言われた。・・・ちょっとむかついたけど、確かにと思ったから、何も言わなかった。ボロが愉しげに喉を鳴らした。



元はといえば俺とゼロスが知り合う切欠になったのはこの三毛ネコだった。裏庭に住み着いた野良ネコ。小さくて痩せっぽちでゼロス以外に懐いているのは見たことがない。

二学期の初め、ぼろぼろのネコにゼロスが餌をやっているところにたまたま出くわして、俺はそれからゼロスを追いかけてばかりいるのだ。

ゼロスはその見た目のせいで、学園でもかなりの有名人で、色々な噂は聞いていた。クラスがちがうから話したことはなかった。だから、噂通りの不良で、遊び人で、だらしないやつなんだとばかり思っていた。

だからこそネコとゼロスというのがミスマッチで、俺は一目でゼロスに興味を持ってしまったのだ。

『おれ、俺、ロイド、ロイド・アーヴィング、おまえ、俺と友だちになれよ!』思い出すと自分でもバカだなと思ったけれど、あのときそれ以外の言葉は見つからなかった。いきなり背後から、しかもそんなことを言われたゼロスは相当いかがわしげに俺を見上げていたが、やがて、ぽつりと、バカじゃねえのと言った。

それが最初だった。そんな出会いから始まった付き合いが普通の友だち付き合いなんかになるわけもなく、顔を見ては逃げられ、追いかけ、逃げ、追い、いまの形に落ち着いた。

今だって隙あらばゼロスは逃げようとするけれど、前よりずっと、一緒にいてくれるようになったし、最近は笑ってくれることも増えた。

となりにいてくれるだけで、じゅうぶんだった。


目を開けると木の葉の向こうの空は青くて、初秋の風は心地よくて、となりにはゼロスがいて、この上なく幸せで、俺はゆっくりと息を吐いた。耳元でニャアという声がきこえた。











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