「決めたぜ、ゼロス」

力む俺に不穏な空気を感じたのか、ゼロスは読んでいた本から顔を上げた。目線は危険信号を読み取ろうと努力をしているようだった。俺はまっすぐゼロスを見つめて言ってやる。

「俺、お前のメアド、絶対に今週中に聞き出すから!」

決意表明を聞いたゼロスは、ものすごく嫌そうな顔をした。それから何度か頭を振って、聞いたことを追い出そうとがんばっていたようだったけど、無理だと悟ったのか最後にはため息をついた。

「言っておくけど、学校の連中には教えてないからね」
「だいじょうぶ、おまえから直接聞くから」
「俺さま、ぜったいに教えないからね」
「だいじょうぶ、おまえから絶対聞くから」

にこにこ見つめると、ゼロスはやってられないという表情で、分厚い本に目を戻した。

図書倉庫にはまた静寂が戻ったけれど、今しがたの素晴らしい思いつきに、俺の胸は弾んでいた。




だけどわくわくはそう長続きはしなかった。

絶対教えないといった言葉通り、ゼロスは何度聞いても携帯のアドレスを教えてはくれなかった。

携帯といえば現代高校生の必需品で、いつでも連絡できる優れもので、仲のいい友だち同士ならメアド、番号を交換するのは常識といっていい。つまり、メアドを聞き出すのは、ゼロスと友だちになる第一歩なのだ。

今週中と期限をつけたのは、その方が短期集中でやる気が出ると思ったから。だけど、三日目で俺はすでに挫折寸前だった。ゼロスは頑なで、サボり場所を何度も変えて俺を避けて、めっきり会える時間も減って、始終不機嫌で、なんだか前よりも距離が開いてしまったように思えたから。

「・・・・あー・・やばい、ほんと、も、むり」
「弱音なんて珍しいね、アンタが」

英語の予習と格闘していた前の席のしいなが振り返った。聞かれてたのかとすこしおどろいて、それから苦笑する。

「なんかさ、最近、ぜんぜん、心を開いてくれてる感じがしないっつうか・・・」
「ああ、あいつのこと?」
「うん。メアドを聞きたいんだけど、何回聞いても教えてくれなくてさ、」

ゼロスのことを、しいなには何度か話したことがあった。しいなとは最初の席替えでとなり同士だったせいで、よく喋る仲だった。

ゼロスねえ、と、シャーペンを口に当てて、しいなは何か考え込んでいるようだった。

どうかしたのかと机から起き上がると、しいなは複雑な表情をした。

「あいつ、ちょっと・・・色々あったからさ、」






走った、

上履きがめくれても脱げそうになっても気にやしない、教師の注意なんて聞こえもしない、

はしれハシレ走れ、両足に命令して、ただ駆ける、ただひとりを捜して、



息切れする身体をなんとかひきずって、新校舎の屋上までやって来て、ようやくその赤毛をみつけた。

目の端で捕らえたときには安堵で半ば泣きそうになった。壊れたように激しく動く肺をなんとか整えて、名前を呼ぶ。

「・・・・ゼロス」

掠れていた。けれど、ちゃんと届いていた。ぴくりと、雑誌を載せた頭が動いたのが見えた。

酸欠で倒れそうな身体に動けと命じて、ゆっくりと近寄る。頭を動かして、ずるりと雑誌を落としたゼロスはまぶしそうに俺を見た。

日陰を作るように太陽を背にして座ると、ゼロスはぼんやりと首を傾げた。今まで眠っていたようだった。崩れ落ちた雑誌をたたんで、ゼロスを見つめる。

「・・・なに、」
「ゼロス、おれ、ゼロス、あの、あのな――――ごめんな」

謝られたのが意外だったのか、ゼロスは目を開けてむくりと起き上がった。

「なに、急に」
「俺、聞いた、あの・・・・しいな、から」

きょとんとしていたが、しばらく考え込んで、ゼロスは察したようだった。表情が硬くなるのがわかった。



しいなとゼロスは同じ中学だったそうだ。それで今日、その頃のゼロスの話をしいなから聞いた。

メールアドレスには嫌な思い出があるらしかった。中2の頃、女子のひとりに教えたら瞬く間に学校中に広まって、メールが殺到して、夜でも電話がかかってきて、携帯が使い物にならなくなって、とうとう携帯を変える羽目になったと聞いた。

そのせいで人には教えたくないんじゃないかねえと、しいなは言っていた。

・・・・そんなこと、知りもしなかった。

「ごめん、ごめん、ごめん、ゼロスに、嫌な思いさせた、ごめん、おれ・・・ほんと、ごめん」

目を見ることなんてできなくて、ぎゅっと、痛いくらいに瞳を閉じて、ただただ、頭を下げる。数秒の沈黙のあと、聞こえたゼロスの声は、すこし、うろたえていた。

「頭、上げてよ、俺そんなに、気にしてないし、」
「・・・でも、」
「べ、つに、そんな、本気で怒ってるとか、そうゆうのじゃ、ない、し、」

恐る恐る目を開けると、ゼロスは本当に稀なことだけれど、おろおろと、していた。

「・・・・・・ぜろす?」

覗き込むと、ゼロスはいくらか思案して、それから、思い切ったように、

「携帯のことは、ほんとに、怒ってねえ、から。そりゃ、他人に教えるのは嫌だけど、なんつうんだ、その・・・・」
「その?」

ずいと顔を近づけると、ゼロスはばっと身を引いた。慌てたようすで、俺をみていた。

「ゼロス?なんだよ、どうしたんだよ」

見つめる。じいっと。しばらく目線で戦って、ようやくゼロスは折れた。ぷいと顔をそらして、疲れたように髪をかき上げて、それから、

「・・・・っ・・なんて書いたらいいか、わかんなかったんだよ!」

自棄気味で吐き出された言葉。俺は一瞬なにを言われたんだろうとおもった。じっくり時間をかけてその言葉を呑み込んで、意味を理解して、俺は、ぽかんと口を開けてしまった。

「わからなかった、って、え、あ、の・・・え?」
「だ、か、ら!・・頻繁にメールする奴なんかいねえし・・・未だに絵文字の使い方もわかんねえし・・アドレスなんて教えたら、返事に困るだろうが・・・・」

もごもごと言うゼロスは、こんなことを男相手に言うのも変だけど、なんだかちょっと、かわいかった。普段は誰ともつるまない一匹狼で、黙っていれば格好いいくせに、こんな可愛い一面もあったのかとおどろいた。

だもんで、緊張の解けた俺は、瞬時、腹の底から笑ってしまった。笑って笑って、涙で前が見えなくなるほど笑いつくして、ゼロスの怒りにようやく涙を拭う。

「・・・笑いすぎ」
「っごめん、あんまり、おかしかったから・・」
「・・・・・・だから言いたくなかったんだ」

機嫌悪そうに、ゼロスは乱暴にフェンスにもたれた。日差しがかかってますます不機嫌そうに眉がゆがんだ。

「ごめんごめん、でもさ、」
「なんだよ、」
「返事、ひとことでも、いいから」
「え?」

ゼロスが振り向く。何を言われたのかすぐには気づかなかったようだった。しばらくして、制服のポケットから生徒手帳を取り出して、その1ページをぺらりと破いた。空ではよく覚えていないのか、ゆっくりと書かれるアルファベットは整っていて、逆さから見てもキレイだとおもった。

短いアドレスを書き終えて、ゼロスは、ん、とそれをよこした。すこしだけ、躊躇する。

「・・・ほんとに、もらってもいいのか」

うなずいたのを確認して、手を伸ばす。気が張ってたせいで、取り落としてしまった。わたわたとコンクリートに落ちたそれを拾う。

性格に似つかわしくない生真面目な字が、きっちりと収まっていた。

丁寧に折りたたんで、ポケットの定期入れにそっとしまう。それからゼロスに言う。

「帰ったら、メールするなっ」

その後浮かべた表情を、嫌そうな顔だと前は思っていたけれど、もしかしたらそれは困った顔なのかもしれなかった。

それから、(これは、自惚れなのかもしれないけれど、)ゼロスはそのあとすこしだけはにかんだように見えたのだった。











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