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そのうちに俺は気がついた。 部活があるせいでなかなか気づかなかったけど、ゼロスはどうやら、帰宅部員としてはかなり優秀な人材らしいのだ。課後、時間のあるとき何回も捜したのに一度も見つけられたためしがないから、たぶん、間違いない。 当たっていた。ゼロスと同じクラスの友だちに聞いたら、6限が終わるなりさっさと帰っているようだと教えてくれた。 そんなに急いでいつもどこに行ってるんだと聞いたら、ゼロスは目をそらして、ただ、大事な用事、とだけ言った。教えるつもりはないようだった。 そうやって隠されるとよけいに知りたくなるもので、それでいま、こうして自販機の裏で息を潜めている。どうしても気になったから、部活のない日を選んで、一日、ゼロスの様子を探って、下駄箱で待って、そしてここまで追いかけてきたのだ。後をつけるなんて、と思う気持ちもあったけれど、好奇心の方が勝ってしまった。 ゼロスはずいぶんこの道に慣れていた。学校近くの住宅街、入り組んだ道をさくさくと歩いていく。気づかれないように置いていかれないように、距離を保ちながら後をつける。ゼロスの大切な用事というのは、一体なんなのだろう。 どこに向かっているのかはわからなかった。ただ必死に、ゼロスの背を追う。 何度めかの曲がり角で、ふと、誰かにぶつかった。反射的にすいませんとあやまる。言葉が凍った。 立っていたのはゼロスだった。見たこともないような、険しい顔で。 「・・・・なに、やってるんだよ」 「っ・・え、っと、その・・・・」 「気づいてないとでも思ったのか?学校から、ずっとつけて来てたな?」 「・・っ!」 ゼロスの声音は限りなく厳しかった。怒鳴られていた方がまだましだった。静かな怒りは、氷のように、刃のように、俺を突き刺した。 俺ははじめて、それはゼロスの本当に踏み込まれたくない領分なのだと、気がついた。本当に、大切な用事なのだろう。興味本位で追いかけた後悔が胸を突いて、ごめんとあやまりたいのに嗚咽と涙が邪魔をしてそれすらもできない。黙ってうつむくと、頭上でため息が聞こえた。 もう俺に関わるな、と、ひとことだけ言ってゼロスは去った。苛立った声だった。 すこしずつ、心を開いてくれていたところだった。ちょっとずつ、笑顔を見せてくれるようになったところだった。俺のくだらない好奇心のせいで全部、ぜんぶ、だめにした。(ああ、もう、ほんと、俺のばか) (・・・ほんとうに友だちになりたいって、おもっていたのに) 前のようにゼロスのサボり場所を訪ねるのははばかられた。メールで一度あやまったけれど、やはり返事はかえって来なかった。 もうずいぶんゼロスと話をしていない。廊下や階段でたまに見かけるたびに声をかけようと思ったが、呼んだところで、なんて言えばいいのかわからなかった。ただただ自己嫌悪だけが残った。前のように自然に話のできる関係にもどりたくてしかたがなかった。他のことは頭に入らなかった。会えない間は、どんどん、心が乾いていくような気がした。 元からあまり勉強熱心な方ではなかったから、ますます授業は耳に入らなくなったし、部活でもミスが多かった。 蹴られたボールを何度も取り損ねて、とうとう体育倉庫に備品を取りに行ってこいと言われてしまった。 疲れた身体をひきずって、とぼとぼと旧校舎の裏を歩く。暗い裏道を行きながら、ふと、耳がぴくりと動く。話し声の聞こえた気がした。 なんだか穏やかではない様子で、ずいぶん怒っている調子だった。ぼそぼそと、俺の知った声も聞こえたような気がした。気になって俺は声のする方を探した。 使われてない会議室の裏、声の主はいた。 見つかるのもまずいから、そっとゴミ捨て場に身を隠して、話を聞いた。(なんか最近、隠れてばっかだ・・・・) 憤る声が聞こえる。 「最低、無視するなんて」 「この子がどんな思いで待ってたか」 「調子に乗らないでよね!」 強い口調だった。何人か女子がいるようだった。不意に、低い声が答えた。 「・・・だから、悪かったって、あやまってるだろ」 息が止まるかと思った、予想してないでもなかったけど、本当に、本人で。ずっと聞きたかった声で、欲しかった声で、身体の震えるのが、止まらなかった。(・・・・・ゼロス、) 緊張に冷や汗が流れた。呼吸の音すら聞こえないように注意して、じっと、話をうかがう。 ゼロスがこの前の放課後、女子の呼び出しを無視して帰ってしまったことを、その友人が怒っているらしかった。 たぶん、ゼロスはいつもの用事のために、いつも通り早く帰ったんだろう。何度かあやまっていたけど、それでも女子の罵声は止まらなかった。 いよいよ語勢は強まって、俺は、やばい、と思った。ゼロス、はたかれる、かも。 嫌な予感が背を伝う。とうとう心配が理性を超えて、俺はその場に飛び出した。 ザ、と地面を踏めば、乾いた地に小さな土煙が立つ。女子の視線は一瞬で俺を捉えた。なによと目線で詰問される。強い視線に負けじと、両足に力を込めた。 「悪いけど、そいつに用事があるんだ。貸してもらえないか」 「あそう、でもこっちが先約だから」 先頭のポニーテールが揺れる。キツイ目をしてその子は言った。集団の女子の怖さというのは、男子のそれをはるかに超えていた。それでもこの前の負い目があって、どうしてもここはゼロスを連れ出さなきゃいけないって気持ちがあって、俺は拳を握って気合を入れた。 「・・・ゼロスは謝ってるじゃないか、」 「アンタには関係ないでしょ」 「関係あるね、俺はゼロスに用があるんだから」 「ふざけないで、こっちの都合だって考えてよね」 「だったら、アンタたちはゼロスの都合を考えたのかよ、」 さすがに言葉に詰まったようだった。一歩踏み出して、壁際のゼロスの手をぐ、と握った。女子を振り返って、 「ゼロスはゼロスなりに、大切な用事があるんだ。こいつのことホントに好きなら、その予定も尊重してやれよ」 それだけ言って、行こうと手を引いて歩き出す。頼りなげにゼロスは後をついてきた。 ・・・自分で口にした言葉なのに、自分に向かって突き刺さった。俺もあの女の子も、ゼロスの気持ちを無視したことではなんにも変わらなかった。えらそうに言える義理じゃなかった。 繋いだ手を思わず強く握る。握り返された気がしたけれど、ただの気のせいかもしれなかった。 「・・・なあ」 「え?」 「どこに向かって歩いてんの?」 「・・・・・・・・あ」 言われてはっと気がついた。自分で思っている以上に動揺していて、まともな思考は残ってなくて、そういえば気の向くままに歩いていた。 誰もいない下駄箱でようやく歩を止める。手を握ったままだったのにふと気がついて、慌てて放す。なんだか恥ずかしくて、ちょっと、離れる。顔が火照るのを見られるのが嫌でうつむくと、ため息が聞こえた。 「もう関わるなって、言ったはずだけど?」 「あ・・ご、ごめん、俺あの、つい、」 「・・・ホント、お節介な奴だな」 呆れたような声音だった。ずきりと胸を抉る。 ゼロスの上履きがくるりと向きを変える。帰ってしまう、と、思った瞬間に手が伸びた。制服の裾を引くと、ゼロスはゆっくりと振り返った。 「っ、ごめん!」 思いのほか大きな声になってしまって、ゼロスが身じろぎした。言いたいこと、伝えたいこと山のようにあったけど、なるべく落ち着いて、ちゃんと、伝わるように話そうとした。 「お、れ、俺、ほんとに、ゼロスと友だちになりたいって、ずっと思ってた、ずっと、ほんとに。だからその、この前は、まじでごめんな、ゼロスのこと知りたいからって、後、つけたりして、・・・・ごめん。絶対もうしないから、詮索したりしないから、だから、「もういい」・・・・え?」 「もういいって、言ってんの」 「で、も、」 「・・・とりあえず落ち着け、な?」 手を離されて肩を軽くたたかれて、俺はようやくほっとした。数日分の辛い鬱積が、その手の温かさで溶けてしまったようだった。じんわり、涙の浮かぶのを止められない。それを見たゼロスが決まり悪げに頭をかいた。 「その、なんだ、・・・この前のことは、本当にもう、いいから」 「許して、くれるのか?」 「・・許すっつーか、あー・・そうだな、まあまだ、怒ってる、けど、反省してるの、わかったし」 あとな、とゼロスはなぜか右を見て左を見て、だれもいないのを確認してから声を潜める。 「俺、これから俺らしくない恥ずかしいことゆうけど、いいな?」 「へ?・・・あ、ああ、うん」 「・・・・・お前が追いかけてこないから、ここんとこ、ひまでひまでしょうがねえの」 「・・・え?」 「だ、か、ら!あーもっ、話のわかんねえやつだな!・・・・・休み時間、俺んとこ来いよって、言ってんの」 「それ、って、」 「っ・・いいな?わかったな?じゃ、俺もう帰るから!」 言うなり、ゼロスは本当に素早く帰ってしまった。その顔がやけに赤かったのは、夕陽のせいなのかそれともちがうのか、俺にはわからない。 |