にゃふ、

猫舌とはよく言ったもので、肉まんが熱すぎたのか、ボロはぺっと白い皮を吐き出して恨めしげに俺を睨んだ。ごめんごめんと頭を撫でると避けられてしまった。

それでも最近はずいぶんと慣れてくれて、しばらくするとまたよってくる三毛を俺は笑いながら撫ぜた。木にもたれながら、ゼロスが一瞥してつぶやく。

「・・・ずいぶん懐かれたもんだな」
「ま、毎日ちゃんとご飯もやってのみ取りもしてやったからな」
「最初は噛まれてばっかだったのにな」

そうだなとうなずきながら、ごろりと腹を見せるのを撫でてやる。冷たくなってきた空気に猫の毛は温かかった。ボロが嬉しそうに喉を鳴らす。ゼロスが目を細めた。

「こいつさ、今でこそ俺に似て美ネコになったけどさ、拾ったときはほんとに汚くて、ボロ雑巾みたいだったんだぜ」
「あ・・たしかに、前はもっと痩せてたし、チビだったな」

見下ろすと、ほどよく肉のついた四肢、キレイな毛並み。それから嬉しそうな瞳。この数ヶ月でずいぶんキレイになったものだ。ボロなんて名前はもうとっくに返上していたけれど、呼び慣れた名前だから、俺もゼロスも特に変えようとは言わなかった。

「春にみつけたときは掌に乗るくらいの小ささでさ、死んじまうんじゃないかって、気が気じゃなかった」
「それで、拾ったんだ?」
「そ。昔から妹が猫好きで、捨てられてるの見てるとついつい拾ってきてたんだよ。でも小さいから自分では世話できなくて、親にいっつも怒られて、そのうち俺が世話することになって、ある程度元気になったら里親を探してやってた」
「あ、だから世話するの、慣れてたんだ?」
「まあね」

俺に撫でられるのに飽いて、くるり、身を翻して野良猫は無邪気に名付け親の膝に飛び乗る。満悦と言いたげに目がなくなる。乗られたゼロスも破顔する。

「・・・ゼロスってさ、全然、猫とか好きそうに見えないんだけど、」
「そォ?」

すこし驚いたようだった。猫を抱き上げながら視線が向けられる。

「だって俺、最初びっくりしたもん、あのゼロス・ワイルダーが、ネコ!って」
「失礼しちゃうね、俺さまは猫にも優しい紳士なのに」
「俺にはずーっと冷たかったくせに」
「そりゃ、まあ、いきなり友だちになれとかゆわれたら、ねえ」
「じゃあなんて言えばよかったんだよ?」

ゼロスはすこし考え込んだ。それから、にへらと笑った。

「やっぱ、そのままでいーや。・・・・そのままが、いい」

やわらかい微笑にふと、なにかの音がする。言葉にすれば消えてしまうような、そんな、小さな音。

かすかなのに響き渡るそれは、いったいどこで聞こえたのだったか。









鞄に教科書を詰め終わったところで声をかけられた。振り返れば、となりの席の女子。ショートカットの、すこし内気な女の子。朝会えば挨拶をして、忘れ物をすれば貸し借りをするくらいの仲の同級生。

なんだか今日はやけにもじもじとしたようすで、セーターの裾を握り締めていた。

「んと、なんか用、か?」
「・・・・うん、あの、・・・裏庭まで、来てくれる?」

ここじゃ話しづらい用事なのかなと思って、ちょっと待ってと携帯を取り出す。ゼロスと途中まで一緒に帰る約束をしていた。悪いけど遅れるからと先にとことわって、彼女を振り返る。行こうかと言うと、華奢な肩はぴくりと震えた。


言われたとおりに場所を移す。今日は猫も名付け親もそこにはいなかった。人目のないのを確認して、さあと聞くと、何か言いたげな、困ったような視線が返ってくる。

落ち着かせようと思ってしばらく待っていると、彼女はようやく口を開いた。

「あ、あの・・あのね、アーヴィングくん、その、・・・・お願いが、あるんだけど、」
「お願い?」

首を傾げると、みつめた顔が真っ赤に染まる。ここまでくるとさすがに俺でも用件がなんとなくわかる。どうしたものかと胸が落ち着かなくなった。なんとなし、背中がむずがゆい。

少女は所在なさげにセーターの裾をひっぱっていたけれど、意を決したように、一歩踏み出す。そうして俺を見上げて、

「あのっ!『ニャア!』」

決意の一声を、より大きな鳴き声が打ち消す。俺がおどろいてとっさに足元を見ると、彼女の向こうの樹木の間に見慣れた三毛が見えた。それから、それを押さえる二本の手。

黙って近づくと、木陰に見慣れた赤毛を見つける。目が合うと、ばつの悪い顔。にらむと、そろりと引く足。

「わ、わりぃな、覗くつもりはなかったんだけどよ、出るに出られなかった、っつう、か」

返事はしない。代わりにひとつ、ためいき。

「う・・・ご、ごめんって、ほんと、ごめん!」

謝りながら、ゼロスはそそくさ走って行った。残された彼女は顔を赤くしたままそれを見送った。ちりりと、なにか、違和感。振り払って話しかける。

「悪い、普段は放課後すぐ帰るやつだから、まだ残ってると思わなくて」
「・・・・仲、いいんだね」
「え?あ・・うん、まあ、最初は俺が一方的に追っかけてたんだけどさ」
「そうなんだ、」

少女の顔は綻んだ。やはりどこか、ひっかかりを感じる。なぜだと自分に問いかける前に、彼女は言った。


「じつはね、ワイルダーくんに、紹介してもらえないかなって」


ぴくり、戦慄いた。さっきから感じていた違和感の正体だった。最初は俺にそういうことを言うつもりなのかと思っていた、けれど、ちがった。・・・・俺ではなく、ゼロスだった。

べつに、彼女のことが特別好きとか、そういうわけじゃない。彼氏彼女になりたいとか、そういうわけじゃない。

なのになんだろう、なんなんだ?

圧し掛かる緊張、震える背筋、走る衝撃、(・・・・なんで、)

どうしてこんな、切られたみたいに痛むんだ、指先が震えるんだ、目蓋が熱いんだ、(・・・こころが引き千切れそうなのは、どうしてなんだ、)


目を開けているのがつらくて、ぎゅ、と閉じれば、浮かぶ顔がある。

世の中つまらないんですって顔をしていたくせに、最近では目が合うと眉じりを下げてくれる、あいつ。

妹の話をするときだけ、猫を撫ぜているときだけ、それから俺と話しているときたまにやさしくなる、あいつ。

ロイドと、うれしそうに、ちょっと照れくさそうに、それでもやっぱり微笑んで、俺を呼ぶ、あいつ。


―――――ゼロス


音が聞こえた、名前をこころに呼ぶだけで、じんと、胸に響く音が、温度が、ある。

数日前ここで聞いたそれと同じだった。けれど、もっと強くて、あたたかで、やさしい。

(・・・・・ああ、ああ)

気がついた、気がついてしまった、そして気がついたら止め処なくなった、

知らないうちに唇が動いていた、ごめん、三文字紡ぐのがやっとで、身体の力が抜ける。とつぜんの自覚は衝撃で、ひざがかくりと折れた。





(・・・・俺は、ともだちじゃなくて、俺は、)










思慕でした












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