|
おはよ、とのせられた手に、びくりと震えた。 おそるおそる振り向けば、やはりゼロスがいて、俺は、 ―――――全力で、逃げた 気がついたら自分の教室で、追ってくる姿はなかった。途中で振り切ったのかもしれなかった。 ゼェハァ、荒い呼吸を繰り返してイスにへたりこむ。しいながどうかしたのかいと心配そうに声をかけた。返事をする気力はなかった。最後の力を振り絞って頭を振った。眩暈がした。 (・・・・やってしまった、) 逃げる気なんて、なかった。それなのに、顔を見ただけで逃げ出してしまった。ああゼロスはどう思っただろうか出来ることなら時計の針を巻き戻してしまいたい!(だって好きなんだ愛なんだLOVEなんだ、どんな顔して会ったらいいんだ!) 制服のポケットで携帯がわめいている。きっとゼロスからだった。鳴りつづけているから着信にちがいない、俺は携帯を取り出して画面は見ずに電源を切った。ようやく静かになった機械にハァと息を吐いた。そしてまた俺はおもうのだ、 (ああまたやってしまった!) その日から俺たちの鬼ごっこは配役が変わった。 俺はいつだって鬼だったのに、気がついたら逃げる側に、ゼロスはいつだって追われていたのに、いつのまにか鬼に。 そして今度の順番はなかなか替わらなかった。現役サッカー部員と帰宅部代表ではやはり俺に軍配が上がったのだ。ゼロスは俺を見かけるたび怒った顔で追いかけてきたけど、俺は学校を縦横無尽に駆けめぐってそれから逃れた。(そして毎回自己嫌悪に陥るのだ、ああなんてばかなおれ!) だって、好きだとか、そんなことゆったら、きっときもちわるいと思われるに決まっている。そういう目的で近づいたのかと、嫌な顔をされるに決まっている。(当たり前だ俺だって男から告白されたらきもちわるい) 頑なだったゼロスとの間にようやくできた友だちという関係が、俺の不用意なひとことで壊れるのが怖かった。やっと打ち解けてくれたゼロスが離れていくのがおそろしかった。 かといって、今までどおりの友人関係にもどるには、胸の中の感情は無視できないほどに大きすぎた。なかったことにともみ消すには、つらすぎた。気づいてしまったらもう、もどれなかった。 すすむことももどることもできなくて、俺はただただ、途方に暮れた。 いっそゼロスがもう俺のことなど忘れてくれたらいいとおもった。(想像して2秒で泣いた。むりだった) しかし鬼ごっこは一向に終わる気配がなかった。 鬼は案外としつこくて、食堂で廊下で体育館で、俺を見るたび全力で追いかけてくるのだ。最初は俺から逃げてたくせに、おどろくくらい他人に無関心なくせに、なぜだ。(そんなに俺が好きなのか!・・・・・ありえない) 根負けするのはなんだか時間の問題のようにおもえた。だってあんなに必死に追ってくるゼロスをいつまでも突き放せるほど俺の血は冷たくない。というか本当はいますぐにでも会いに行きたいのだ。だけどうっかり口走ってしまいそうだから会えないのだ。なぜなら俺には前科がある。初めて投げた台詞、友だちになれはなかなかの飛躍ぶりだった。あれから俺は自分の自制心とか理性とかそういったものは信じないようにしている。鬼に捕まえられたら大声で愛してるとかいってしまいそうでおそろしい、自分がおそろしい。 ぐったりしているとしいなに起こされた。次は移動だと急かされる。いつになく重い教科書を抱えて気乗りしない足を持ち上げた。 急ぐ気はさらさらなくて、気がついたらチャイムが鳴っていた。まあいいかとのろのろあるく。渡り廊下でふと止まる。視界の隅の裏庭、ほんのすこし、白いものがちらつく。(いやいやまさかそんな) そう思いつつも音を忍ばせて、芝生をゆっくりひっそりすすむ。白いのは上履きだった。寝そべっているらしい。こっちに気づいているようすはない。・・・もしかしたら寝ているのかもしれない。茂みの奥、期待と不安のない交ぜになったきもちを押さえながら、そっと身体を折ってのぞきこんだ。 繁る緑の中、鮮烈の赤―――ゼロスだった。身体をまるめて、やはりすうすうと穏やかに寝息を立てていた。この寒い中、こんなところで!と目を見開く。けれどしばらくみつめていると、その顔色に気がついた。 眠る顔は血の気が少なく、どうやら疲れのせいで寝てしまったようだった。毎日俺を追いかけていたせいかもしれないと思うとちくりと良心が痛んだ。ちゃんと飯を食っているだろうか、心なし痩せたような気がして心配になる。 思わず手を伸ばしそうになって、なんとか止める。(逃亡者が自ら捕まりにいくなんて、)けれど懐かしい寝顔をみているうちに耐えられなくなって、伸ばしかけた指先が震え、そして目の前の白い頬に。なんで止まらない、自分の手なのに。 触れた頬は案外やわらかくて、俺はほっとした。数度慈しむように撫ぜると、どっとあふれる、熱を孕んだきもち。(・・・・・すきだ、どうしようもなく、) 久しぶりに触れた体温は泣きそうなくらいに愛おしくて、ぎし、と唇を噛み締める。そうしなければこの感情を吐き出してしまいそうでこわかった。 ふと、火照った身体を、冬の匂いのする風がすくって背筋がひやりとする。形のいい眉のかすかに歪むのに気がついて、俺は慌てて指を離し、自分の上着に手をかけた。もどかしくボタンを外して、起こさないように気をつけながら、そっとかけてやる。シャツとセーターだけの軽装備はすうすうと寒かったが、そのていどの苦労でゼロスを風邪から守れるなら安いものだった。 これでよしとうなずいて、裏庭を吹き抜ける風はやはりさむくて、そろそろ授業に出ようと背を向ける。いつまでももたもたしていたらゼロスも起きてしまうかもしれない。 しかし、渡り廊下を振り返ったはいいものの、なかなか一歩が踏み出せない。久々のゼロスはやっぱり離れがたくて、自分の女々しさに情けなくなる。 一度だけ、もう一度だけ、と振り返ったとき、堅く閉じられていた唇がうっすらと開いた。 「・・・ロイド、」 一瞬で、身体中の血が沸騰する。どくんどくんどくん、左胸がばかみたいにわめいた。俺は今度こそ背を向けて、ばっと走り出した。さむさなどもう気にもならなかった、ただただ熱かった、もたれそうになる足を必死で動かして走った、 ああもう!うるさいうるさい、とまれ、心臓!(いやとまっちゃったらこまるけど!) こんな、名前を呼ばれただけでおかしくなりそうなくらい、好きだなんて、そんな、そんなばかな! (きっとちょっと心臓が故障してるだけなんだ、ほんとに!) top → |