とつぜんの電話、あいたい、ひとこと。

それだけのために、家に帰ったばかりなのに自転車を全力でこいでいる俺はなんて安易なんだろう。

一応言っておくと、べつに、未練があって来たわけじゃない。何度もかかってきたから、声がいつもとちがったから、意味深にひとことだけ言ってなにも聞こえなくなったから、だから、元同居人が心配になった。それだけだ。決して、まだ好きだからとか、そういうわけじゃない。

マンション入り口、部屋番号を押しても返事がない。出てきた住人のおかげでオートロックを突破すると、習性で、ポストをちらりと見てしまう。満杯であふれ出していた。おどろきながら郵便物を取り出すと、一番下には鈍色の鍵。俺の合鍵だった。どうやらまったくポストを開けていないらしい。ため息をつきながらエレベータ、懐かしい数字はやけに指に馴染んだ。


合鍵をひねると、鍵は開いていた。無用心なと思いながら上がる。

荒れ果てたリビングに姿はなかった。ゼロスの部屋にも、主はいない。まさかとおもって自室に行ってみると、ベッドに倒れこんでいるのをみつけた。まさか具合がわるいのかと駆け寄ると、横を向いた頬には泣いた跡があった。薄い線をなぞると、ぴくりと身じろぎする。ゆっくりと目蓋が持ち上がった。二、三度まばたきして、そして碧眼が大きく見開く。

「・・・・ロ、イド?」
「あ、ゼロス。大丈夫、か?」
「ロイド?・・・本当に、ロイド、が、いる」

ぼんやりした瞳で俺をみつめて、うわごとのようにゼロスは言う。それから急に起き上がって、ぎゅうと俺の首に抱きついた。

「ロイドあいたかった、ろいど・・・ろいど、」

呂律が回っていないのに心配になって、顔色を見ようと身体を離すと、ますますぎゅうと抱き締められる。

ゼロスになにがあったかは知らないが、俺はゼロスがいまだに好きなわけで、こんなことをされてはたまらないわけで、つまり心臓が破裂しそうなわけで、必死に腕から逃げ出そうと抵抗するが、なかなか上手くいかない。

そしてようやく伸ばされた救いの手は間の抜けた携帯の着メロだった。

響く機械音に一瞬ゼロスの拘束が弱まって、しめたとばかりに身体を離して、携帯を取り出した。モニタには、さっきまで一緒だった幼馴染の名前。ためらいもなく通話ボタンを押した。

「・・・コレット?」
『ロイド?』
「どうかしたのか」
『あ、あのね、帰るときもまだあんまり浮かない顔だったから、心配になって電話しちゃったの』
「あ・・・・わるい、ありがとう」
『そんなに思いつめないで、いつでも相談してね、わたし、』

なんてつづけるつもりだったのかはわからない。とつぜん伸びた腕によって電話は切られてしまった。おどろいて見上げると、苦虫を噛み潰したような顔があった。なんでと問うまえに携帯は投げ捨てられ、俺は腕を引っぱられた。

沈み込むマットレス、覆いかぶさる元同居人、反転する世界。わけがわからない、俺は不安でみつめたけれど、ゼロスはなにも言わなかった。そして、身を屈めて顔が近づけられる。俺はおもわず目を瞑った。

押し付けられたのは荒々しい唇だった。

一瞬の沈黙のあと、離れた男になぜと目で問いかけると、くしゃりと端正な眉が歪んだ。

「・・・・・好きなんだ」

どこか遠くで、間の抜けた電子音が聞こえた。