足を止めた。昼の終わりのひっそりと人気のない一階の廊下、ひそめた話し声が耳につく。薄暗い中目をやれば、自室、化学準備室の向かいの生物室前で二人が話し込んでいた。よく見知った教師と生徒、私の足音にも気づかず会話を(なんだか楽しげに)つづけているのが気に食わない。わざと靴音を立てて声を張った。
「ユアン!」
話し込んでいたうちの一人がふりかえり、私を見るなり眉根を寄せる。(それは私の表情だ、この腐れ縁め)保険医が呼んでいるぞと嘘をつけば先ほどまでの不機嫌はどこへやら、白衣を翻し軽い足取りでユアンはそわそわと横をとおりすぎて行った。(残念だったなマーテルは昼から出張だ、せいぜい保健室の前で落ち込むがいい)
もう一人、残された生徒に近づくと、手にしていたメモとペンをサッと背のうしろに隠す仕草にむっとした。隠しごと、しかもユアンとのあいだの、というのが余計に腹立たしい。一歩退いた生徒の顔の横、生物室の壁に右手をついた。ドンと、鈍い音が廊下に緩く響く。
「・・・アーヴィング、」
呼ぶ声の低さに、自分が自分で思う以上に怒っていることに気がついた。しかし取り繕うのすら億劫で、その顔をのぞきこむ。そらされた目をむりやり、顎をつかんで奪う。戸惑うように、鳶色の瞳は揺れていた。
「何を話していた」
「・・・・授業の、わかんないとこを聞いてただけだよ」
「そんなもの私のところに聞きに来ればいい、それに――嘘だな?」
「っ!う、嘘じゃねえよ!」
「――答えろ」
思いがけず力がこもって、手を付いた壁がみしりと鳴いた。アーヴィングが肩をぴくりとさせる。そうしてしばらく視線を逡巡させてから私の視線の変わらないのを見て、ようやくあきらめたように白状した。
「アンタの好みを、聞いてたんだよ・・・・」
「・・・私の?」
「っそうだよ、わるいかよ、」
どうにも予想外の返事で、しばらくなにも言えなかった。黙って言葉を解きほぐしていると、片手だけの緩い拘束を振り払ってよろめきながらもアーヴィングは走って行ってしまった。背を向ける一瞬、かいま見た頬の赤みは耳まで染めていた。ようやくさっきの答えの意味が呑み込めた。気がつくと無機質なコンクリートに触れた手は驚くほどに熱かった。(しまったアーヴィングのが移ったにちがいない!)
困ったことに今ごろ顔が火照ってきた首まで熱いとはどういうことだ。手の甲で頬をぬぐってみたが手まで熱くては意味がなかった。頭の沸騰しそうなのをなんとか持ちこたえて準備室に逃げ込めば、ずるずると膝の力が抜けた。鳴り響くチャイムの音は妙に遠く、遅かった。早鐘のようにうるさい心臓のせいだった。
(とにかく今後は私に直接聞くよう言わなくては・・・・)
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