追いかけてくる、どこまでもどこまでも。


本当にこいつは一体なんなんだと、思うのはもう何度目だろうか。数え切れないほどに考えた議題、けっきょくいつだって答えは「アステル」以外には辿りつかないのだが、つい、思案してしまう。


人間らしい感情というものを持ち合わせていなかった少年が、他人を好きだと主張するまでに成長したことは実に、実によろこばしき、ことだとは思う。しかしその矛先が自分とは、どういうことだ、俺は男、向こうも男だ、そんな、ばかな、生物学的に、(ありえない・・・だろう、)


そして悲しむべきことに、好意を覚えた少年の愛はひどく純粋でまっすぐで一途だった。わるくいえばつまり、ひどく無邪気で悪びれず、しつこかったのだ。


朝起きればなぜか床、ベッドは金髪の悪魔に占領され俺はさわやかな腰痛と朝の挨拶をするなんてことはしょっちゅうになった。そして休みの日くらいそっとしておいてくれと切に願えばエプロンつけてやって来て、俺の顔だと頑なに主張するケーキ、らしき物体をつきつける。(自分の顔にそれほどまで自信があるというわけでは決してないが、すくなくとも俺は顔の右半分があるぞ! 眼鏡も割れていない!)挙句の果てに、どこにでもついてくるものだから周囲の人間に、完璧にあの二人は出来ていると誤解をされる始末。助けを求めに行ったリリーナにさえ、二人のじゃまをしちゃわるいわと逃げられたときにはとなりのアホ毛を引き抜きたくなった。





好き好き好きだよねえリヒター! 怒涛の愛の奔流、受け流すのにも体力が要る。数週間毎日つづけられ俺の神経はどんなに研究の忙しいときよりも細く、細く削られていた。素人に刻まれる原石にでもなった気分だ、いつ破片と成り果てることやらと気重に思う。


ベッドにもぐりこんでくる小さい身体を、抱き締められればよかった。つたない料理を、心の底からたのしめればよかった。セットのように扱われることを、開き直って胸張るくらいになれればよかった。


けれどもそれは、かなわないことだ。


眼鏡を外し、サイドボードに置いて、明り取りから一筋差しこむ光の満たす部屋、ベッドの上で、膝を抱え、束の間の休息をとる。夜、俺が寝るまでのしばらくのあいだだけ、アステルは俺を解放した。一日で唯一の、しずかな時間。白衣をもぞもぞ脱ぎ捨て床に放り、束ねていた髪も解いた。首元のリボンをゆるめようやく、おおきく息が吸える。


一人というのは多くのことを考えさせた。自制心をつよく、確固たるものにするための時間だった。この時間があるから俺は保っているようなものだった。


そもそもアステルのことを厭う感情はないし、男だとか女だとか関係なく、好ましい人間だ。非常に癪だが、特別だとも、思っている。望むならいくらでも研究に付き合ってやるし、自分にできるかぎりのことはしてやりたいし、泣いているときはその頭を撫ぜてやりたいとも、思う。


しかし俺とアステルには決定的な境がある。俺はハーフエルフ、アステルは、人間だ。いまだ、下等なハーフエルフと天才少年が同じ研究をすることに眉をひそめる人間は所内にいくらでもいるし、アステルがそういった人間に露骨に、嫌な視線を送られていることも、知っている。状況はすこしずつ改善されているとはいえ、差別の根深いこの世界で俺とアステルが手をつないで生きることはひどく、ひどくむずかしいことなのだ。アステルはそのことをわかっていない。そんな幼い少年に、俺という重荷を背負わせることはとうてい、できなかった。そう正直に言えば俺はアステルを好きだったから、アステルの気持ちにこたえることが、できないのだ。皮肉な、はなしだった。



考え込んでいるうちにいつの間にか眠ってしまっていた。目を覚ましたのはごそごそと、毛布の中に手が入ってきた感触だ。視界はうすぼんやりとしていたが隙間から入る風に、背中に押し当てられた体温の高い手のひらに、アステルだと気づく。そしてばっと、身を起こした。スプリングがきしみ、入り込もうとしていた少年は動きを止める。


「あれ、リヒター、・・・おきてた?」
「っ起きていたとかそういう問題じゃない! 夜は自分の部屋で寝ろと言っただろう!」


ろれつの回らない口なんとか回してたたきつける。アステルはベッドに座り込んで、柳に風とでもいわんばかりににこにことした双眸をくずさなかった。月明かりに浮かぶしぶといその表情に、苛立つ。数週間の張り込みで、自制がぐらついていたせいも、ある。俺は両目を手首でこすってにらみ、告げた。


「・・・・本当に、迷惑なんだ、これきりにしろ、――お前が断るなら俺は地下に、・・・もどる」


わざと低くつくった声にようやくアステルはまたたいた。それから冗談にしてはおもしろくないよと口をとがらせた。冗談じゃない、すぐに否定すればすこし、怒ったように、


「リヒターはそこまで、僕のことをきらいじゃない」


などと、ぬかした。(くそ、なんで断言できる・・! 当たっているのが非常に癪だ・・・!)


「本当にきらいならそばに置かないから、僕のことは、きらいじゃない」
「! (どう、言えばいい・・!)」


理詰めで勝てる気がしない、相手は研究所創立以来の天才と誉れ高い少年だ、無理もないのかもしれない。しかたなく最後の手段、俺はとうとう本音を、さらけだした。


「・・・俺は、ハーフエルフだ、きっとお前に迷惑を、かけるだろう」


情けないことに震えていた。髪の毛先から足の指まで、声さえも。束の間の沈黙のあと、少年が言いはなったことばはひとつ、『それがなに?』だった。俺はおどろきに顔を上げる。少年はなにごともなく話す。


「ハーフエルフなんて関係ない、僕はリヒターが好きだよ、ただそれだけのことだよ」
「っそ、それだけのことではないだろう、お前はもうすこし世間体と言うものを、」
「世間体を気にして好きな人に好きっていえない社会なら僕はいらない! そんなこと気にしているくらいなら僕は、きみといっしょに暮らすためにどうしたらいいか考える!」


声を荒げたのは突然だった。漆黒の瞳は光を反射してつよく、つよく力を持つ。右手をつきまっすぐ見つめ、アステルはいう。


「どうしてわからないの、だれよりハーフエルフを疎んでいるのはリヒターきみなんだよ、きみが一番、ハーフエルフを否定しているってどうして気づかないの、」
「っそんなこと、」
「だったらハーフエルフであることに自信を持ってよ、負い目にしないでよ、僕はリヒターのとがった耳も、治癒を唱える声も、あったかいマナも、好きなんだ、僕の好きなリヒターを否定しないで。・・・・好きなんだよ」


最後はもはや懇願だった、壊れかけた俺の自制を打ち崩すに足る力を、持った。覆す気力も抵抗する気力ものこされてはおらず、ただただ、少年のことばが、俺はうれしかった。負担になりたくない、その気持ちは消えずあったけれど今は一縷の希望、少年が言った共に生きる未来に希望を託したかった。


なにより、俺はアステルが好きだった。


小さい身体を掻き抱いて瞳を閉じ、俺たちを見る目など気づかないようにかたく、つむった。世界はあたたかな暗闇に満ちていた。


「・・・好きだっていいつづけるの、本当はすごく、勇気が要ったんだよ。でも勇気は夢を叶える魔法だって、小さい頃読んだ本でどこかの科学者が言ってた」


ほんとだったんだなあ、ぽつりとつぶやいてアステルは俺の背に腕を回した。